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法源山宗永寺

▲手前から、本光院殿、影幻院殿、渓花院殿(宗永寺開基)、陽林院殿、清泰院殿、梅雲院殿

宗永寺の縁起

法源山宗永寺は往昔花園天皇の帰依建立となる京都妙心寺を大本山とする臨済宗妙心寺派の末寺で、津山城主 森長継公(二代目藩主)の母堂の菩提寺なり。(明暦2年・1656年建立)。渓花院は森忠政公の息女で美濃の金山で生まれ、関民部成次に嫁し元和元年(1615年)21歳で津山に没す。西今町の裏の渓花院に葬られるも、その後明暦2年に宗永寺が建立される。他に長継一門の供養墓として、清泰院殿(忠政公側室)本光院殿(長継公息女・於鍋)、陽林院殿(長継公子息・頼母)、影幻院殿(長継公子息・吉之助)、梅雲院(長継公側室・頼母の母)の石塔を安置す。

古書には9間×12間を擁し城主の信仰篤く、作州の名刹に数えられしが、天保年間惜しくも焼失、現在の本堂は旧観音堂なれど、これは元文4年(1739年)万人講により建立す。その規模から推して旧本堂の壮大さが想像できる。その後、大正年間に檀信徒の再建熱願により観音講を設け、復元計画されたしも挫折して今日に至る。

2009.9.19・20

▲観音堂の由来

宝永年間(1704〜1710)に真庭郡新庄に住む小野田氏有閑と言う人有り。幼時より難病にて百方手を尽くせども効なく、ある時、忽然と悟り、聖観音像を造って信仰し「今日より、たとえ死すともこの像を負って全国巡行の旅の上り、難病治癒致さば観音菩薩32体を造り奉るべし」と大願を起こし、以後数10年間社寺を順歴。観音菩薩の功徳あってか見事大願成就致し、「後人疑義する勿れ」と観音経を血書し、32体の観音菩薩を造り、聖観音菩薩と共に宗永寺に奉納。降って元文4年(1739年)万人講を開き浄財を以って現住所に観音堂を建立し33体の観音像を安置す。霊験あらたかと津山はもとより県内一般の崇敬を集めて法燈は燦然と輝き今日に至る。

2009.9.19・20

▲山号

▲寺院名

▲お地蔵様


33体の観音菩薩像

観音堂(現本堂)の向かって右側に、浄暗に金色の光を放ち給う観音菩薩像は木彫りで尺余の立座像にして33体旧の儘なるは、全国希有にして準国宝級と見倣され、広く一般参詣者の礼拝絶えず。

   上 山主誌


津山市小田中1303-8

宗永禅寺

電話(0868)22-8785

▲客殿

▲境内

▲本堂

▲歴代和尚の墓

▲鯱

▲山門

▲山門

▲綺麗に手入れされたお庭

▲鯱

▲面白い顔の鯱