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田熊の石仏道標

田熊 真加部街道沿いの村境 長尾山への道標 石仏道標

▲石仏道標は、近隣住民により、今も祀り続けられている。(2009.11.28取材)

田熊の中土居から、旧真加部街道を東に進んで、水田地帯を通り過ぎると、広戸川の橋を渡ることになる。この川沿い周辺は、福本という家数もまばらな所だが、福井の横尾などと共に、かつて和紙の製造が行われていた場所である。さらに、東にすすむと、昔の植月(勝央町)との村境となる。そこは、野田から塚原に抜ける道と合流した三叉路となっていて、その位置に、舟形地蔵式の道標が、背中合わせに2つ設けられている。

 東に向いた舟形地蔵は、原型をよくとどめているが、西へ向いた分は破損がひどくなっている。しかし、かろうじて文字が判読できる状態で、次の道標の文字が読み取れる。
東向き
右 まもみち 左 つ山みち 施主 貞丹
西向き
右 長尾山みち 左 やたひ(植月中) 文政13年庚寅年 かつまた屋 石工 伊八。

 これは、旅する人の安全を仏に祈り、便利を考えての供養塔(1830年)である。とくに、長尾山への参詣を考えての道標と言える。真加部街道の基点となる市内河辺にも、「是より長尾山道」の道標があるように、江戸時代の半ば過ぎから幕末、明治にかけて、長尾山詣でのいわゆる巡礼の旅が盛んであった。 (参考:広野の歴史散歩)

▲東向き
右 まもみち 左 つ山みち

▲道のあぜにちょこんと建っています。

▲黒豆の大豆畑

▲西向き
右 長尾山みち 左 やたひ(植月中) 

▲ペンギンさんの様なほほえましい姿である。

▲附近のほのぼのとした風景です。