【津山人】野村雅之
野村雅之監督の思い。 | ||||
サッカーは、津山からJリーグのチームを立ち上げようと思えば立ち上げられる可能性があります。男子の方は、都道府県リーグ→地域リーグ→JFL→J2→J1となっています。 |
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野村 雅之(のむら まさゆき、1966年12月11日 ) 東京都生まれ、広島県育ちの元サッカー選手、サッカー指導者。 岡山県作陽高等学校サッカー部監督。 1983年広島国泰寺高校のゴールキーパーとして吉田安孝らとともに高校選手権出場。義田貴士は同高校の同級。1988年筑波大学に進学しサッカー部で活躍。中山雅史、井原正巳、森山佳郎らが大学の後輩。 1990年招かれて保健体育教諭として作陽高等学校に赴任しサッカー部コーチ。1999年監督就任。2005年JFA公認A級ライセンス取得。2007年、高校選手権で同校を岡山県勢初の決勝進出に導いた。2008年ついにJFA公認S級ライセンスを取得した。 ■教え子にU―22日本代表候補、青山敏弘(広島)らがいる。担当教科は保健体育で「普段は物静かなタイプ」(FW村井)という。津山市内に妻と一男一女。40歳。 作陽高校からは青山(サンフレッチェ広島)という選手がオリンピックに出ています。 生徒はお客さんだと思っています。高校生活を満足して卒業して欲しい。 過程を大切にしていることが、結果的に生徒を満足させて卒業させてあげられるのではと思っています。 「ヨーロッパで活躍している選手はどこ出身?。津山市出身だ。」と言われる選手の育成を目指しています。 |
▲2007.5.17岡山県中小企業家同友会津山支部総会にて講演してくださいました。 岡山県中小企業家同友会津山支部の総会で基調講演をしてくださいました。 監督は小学生の頃は野球少年だったそうで、今でもこのときの体験が大変役に立っているのだそうです。 作陽高校からは青山(サンフレッチェ広島)という選手がオリンピックに出ています。オリンピックは23歳以下でやっていますが、ワールドカップは日本代表なので、サッカーではオリンピックよりワールドカップの方が上と言うことになります。 また、練習方法では、どこに目標を置いて練習するかが大切です。 作陽の生徒には、ワールドクラスの選手に育てたい。 ★基本的な考え方は品質管理(クオリティーコントロール)プレーの質を高めることだ。 ★キーワードは、サーカーではとても重要です。 キーワードを多様化して、動きのイメージを作っていくとパターン化される。パターン化されると、組織的な攻めや守りになってくる。 ★習慣化することが大切です。 例えば、箸は皆使える。倒れそうに疲れていても、箸を持たせると平気で持つ。 ★指導者は選手を見抜くことが大切! 育ってきた環境、保護者、指導者など背景まで見抜く。 選手を眺めるだけでは駄目で、しぐさや視線をアナライズ(分析)できなければいけない。 サッカーは相手が何を考えているか見抜くことが大切である。アナライズ(分析)して、背景が見え、ずるさ(相手を見抜く)を持っている選手が伸びるし、ワールドクラスに入れる。それぞれの分野で一流になるのである。 スタッフも成長しなければならない。 |
▲野村雅之監督のユニークな指導方法 赴任して18年目を迎える作陽高を、第85回全国高校サッカー選手権で岡山県勢初の準優勝に導いた。 ▼このチームは、相手に応じて戦い方を変えられる柔軟性が武器である。 「決して歴代最高ではない、だからこそ自分で考えることのできる選手」の育成に力を注いできた。 勝っても負けても、その事実は動かない。自分を見つめることで次の課題を発見してほしいし、決勝までの道のりはその積み重ねに過ぎない。」 選手たちは「社会で生きていく上での指針を教わった」という。 鬼ごっこをやるんです。鬼の視線を盗んでいかないといけないから、鬼ごっこほど単純で駆け引きの出来るものはない。 有名になっていい所からオファーがあっても、死ぬまで津山に残ってください。 大学を卒業してすぐ津山に来ましたが、来た時からいるつもりでいた。 |
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