二宮「立石邸」

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 立石家

▲とにかく立派なお宅でした。個人のお宅なので遠くから眺めてください。(ご迷惑にならないようにね!)
民会と自由民権

血税一揆のあと、北条県の小野参事(知事)は政治のやり方をかえ、1874年(明治7年)、地租を納める住民が参加する民会を作りました。民会は、町村会・区会・県会に分かれ、議会は選挙で選ばれました。
また、議会での議論や決議は自由で、全国でも進んだ制度でした。議会で取り上げられた事がらを見ると、「税金・村の費用」、「学校」、「道路や用水」といった地域のくらしに結びついたものでした。こうした経験により、住民に民権の大切さが語られ、広まっていきました。
1876年(明治9年)、北条県は合併して岡山県となりました。1879年(明治12年)、最初の岡山県議会議員選挙が行われ、県議会が開かれました。知事の力が強く、県議会で減税や住民の権利を主張しても聞き入れられません。
津山の立石岐、鏡野の中島衛らは、備中・備前の代表と協力して、「県議会が開かれても、政府の規則や命令で何もできない。くらしを良くする為には、政治を変え、人民の国会を開くしかない」と国会開設請願の署名運動を起こしました。

わたしたちの「津山の歴史」より抜粋

 首無し地蔵

津山城松平二代目城主、松平浅五郎(幼少6歳)時代の事。

享保11年3月(253年前)山口一揆の首謀者として御殿河原に於いて斬殺された5名の者の地蔵様で、新田村(現津山市新田)の村人達が哀れんで建立したものである。

巨魁の徳右衛弥治郎

富来谷村の與七郎

東芽部村の七左衛門

土居村の忠左衛門

東芽部村の喜平冶

▲首なし地蔵さんは、佐野食品さんのすぐ隣です。

▲横には可愛いマリーゴールドの花が綺麗に咲いていました。

▲本当に首がない!