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白加美神社

白加美神社社殿及び随身門並びに末社多賀神社社殿
 小田中に鎮座する天照大神を主神とした社で、作陽誌には白神社と記す。寛永12年森長継から大隅神社・八出天神社同様20石の知行を受けている。
  本殿は主神にふさわしく神明造(しんめいづくり)とする。しかも、他の形式の介在をまったく許さず、正統性をよく保っていることは、市内に数社ある神明造社殿のうちでは抜群である。すなわち、平面は桁行三間・梁間二間とし、正面中央のみ扉口を設けること、軒、屋根面ともに反りはなくあくまでも直線的であること、両面に棟持柱(むなもちばしら)を有すること、破風板上方に鞭掛(むちかけ)があること、棟には千木(垂直に切る)堅魚木をのせること、等どれをとっても正規の造りになる。
社伝では、拝殿ともども文久2年4月の建造という。年代の指標となるべき絵様・繰形がないので、その判断は難しいが、材の風蝕があまりみられないから、少なくともそれ以前に遡ることはない。幕末になるとこうした復古的なものが見直されくる風潮があるが、その一つの表れであろう。 その他の社殿は、本殿の前方に近くから廊下・幣殿・神楽殿・拝殿が直線上に並ぶ。鉄板葺の廊下以外は桟瓦葺となる。

2009.2月取材

▲拝殿の飾り

▲祇園社

▲お稲荷様


 本殿南には末社多賀神社本殿が並立し、一間四方と小さいものの神明造りです。

 また、同神社から発見された絵図面は、嘉永4年(1851)に田渕伊之七源勝芳により描かれたもので、社殿を造営する際のものと考えられます。

年代的には本殿よりもやや古く、18世紀に入るものと思われる。


津山市指定重要文化財(建造物)

・白加美神社社殿

・随身門

・末社多賀神社社殿

・白加美神社絵図面

所在地/津山市小田中254

▲春には桜が咲いて、とても綺麗です。

▲随身門は入母屋造、本瓦葺で文久2年(1862)竣工という。

▲随身門

▲看板

▲木造随身像

▲木造随身像のお顔がユニークで、とても親しみがもて、しばらく眺めてしまいました。

▲本殿

▲全景

▲末社多賀神社社殿(津山市指定重要文化財)

▲古い額

▲御輿倉

▲お神輿様

▲秋の祭りにて

▲秋の祭りにて

▲2010.10.17日(日)の御神輿

▲2010.10.17日(日)の子どもみこし

▲お神輿を見て歓ぶ孫とおじぃちゃん。

▲お疲れ様

▲子どもみこし


祭神 

天照皇大神(あまてらすおうみかみ)
正哉吾勝尊(まさやあかつのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)
彦火及出見尊(ひこほででみのみこと)
?がや草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
幸魂月夜見尊(さきみたまつきよみのみこと)


白加美神社縁起(約1220年前)
人皇第44代元正天皇(奈良時代)の御宇当国戸川の宿の北に現在地美しい五色の虹が輝き渡った。苫田縣主通憲が驚いて里人にその所を掘らしたところ数尺も掘らないうちに神代の霊物と思われる、とても美しい璽(たま)が出た。その時忽然としてひとりの老翁が現われ告げるには我はこの月輪田原に居る神である。
  この所に降居して久しいが、国人はまだこの地が霊地であること知らない汝を見るに心浄く性直で民を撫し敬神の念篤く「我は汝の誠心に感じ入っている。汝はこの神璽を奉崇しひもろぎを営んで天照大神より?がや草葺不合尊に至る五神を奉祭すれば陰陽五行和合し国土平安し国人安穏なるべし」そして忽ちその姿は見えなくなった。通憲はそのお告げを畏みそして急いでこの由を朝廷に奏上した。朝廷ではこのことを議しこれは国中に無双の霊地であろう、速に神の教に任にひもろぎを造営し、神璽を奉祭せよとの勅命が下った。時に養老4年であり養老7年3月19日に正遷宮が行われ朝廷から30町歩を神田として賜つた尓来朝廷尊崇し往時は当国戸川宿で毎月6度の市あり国人此地に会集し戝産を交易し当日集市の人は悉く当社に詣で戝貨土毛を奉じ福を祈り禍をはらった。
  その後森候入封の時社領は召し上げられ慶長19年忠政候が280石の社領を寄進、寛永12年長継候から20石、元禄9年長成候から20石を寄進せられた。森家廃絶後は社領を召し上げられたが松平家では封内八社として年々寄付米を奉納され明治に及んだ。
現在社殿は弘化年間の建造である。
現社殿は総欅造り神明造り(伊勢皇宮同型造り)
平成11年3月