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高野神社(津山市高野)

高野神社御由緒(2010.1.10)
  高野神社の創祀年代は不詳であるが、はじめて国史に登場するのは貞観6年(864年)従五位に叙せられたことに始まる。ついで貞観17年(875年)正四位下に昇叙され、さらに延喜5年(905年)から編纂された「延喜式」の神名帳に登載され、式内社となった。式内社は、美作国では十社しかなく津山市内では中山神社と高野神社のみである。
  御祭神は古くは鵜葺草葺不合命一柱であったが、中世に武家の勃興とともに、相殿に応神天皇、神功皇后をお祀りして、明治維新頃までは八幡宮と称して篤く信仰を寄せられてきた由緒ある古社で、今もなお広大無辺なご神徳を慕って彼方此方の崇敬者の参拝が後を絶たない。
  我々の祖先等は日毎夜毎にこの御社を仰ぎながら、豊かな暮らしを営んで来たものと思われる。今なお、勅使屋敷、鳥居場、神田、祢宜池、垢離取池、神子池、西詰池、神社池等、往時を偲ぶ多くの地名が伝えられ、広大な土地を有した神社であったことがうかがわれる。(写真・情報提供:高野神社)

▲入口の鳥居

▲由緒書

▲有栖川宮熾仁親王揮毫の額(写真:高野神社)


 農工繁栄、厄祓、安産、交通安全等の御神徳は特にあらたかであるが、初宮まいり、七五三まいり等、稚児、幼児の成長を祈る家族揃ってお参りする姿は誠に微笑ましい風情である。


・摂社 大神宮
・末社 御先稲荷神社、天満宮、山神社、祓戸四柱神社、牛神社、荒神社

初宮まいり

安産、厄除、交通安全、家内安全、商売繁盛、社運隆盛、その他

出張際

地鎮祭、上棟祭、竣工祭、神棚祭、お清め、方除、その他


高野神社

電話0868-21-1319

▲本殿

▲拝殿(写真:高野神社)


※写真の一部は高野神社よりご提供いただきました。

▲神楽殿

▲ 大神宮

▲回廊(写真:高野神社)

▲荒神社(写真:高野神社)

▲祓戸四柱神社(写真:高野神社)

▲荒神社(写真:高野神社)

▲天満宮(左)御先稲荷神社

▲山神社(写真:高野神社)

▲牛神社(写真:高野神社)

▲第二鳥居


式内社高野神社と二宮高野神社

「延喜神祇式」神名帳に
  (美作国)苫東群二座  大一座 小一座
  高野神社 中山神社
とある。ところで今日、ここに所載されているところの所謂式内社としての高野神社を主張している神社が二社存する。すなわち、岡山県北部の山間部の都市、津山市の東部の農村である津山市高野本郷鎮座の高野神社と津山市街地の西端、津山市二宮の高野神社の両社である。前者は普通の農村に見られる鎮守の社であるが、社格は旧郷社で、後者は平安時代末期以来美作国二宮として崇敬された大社で、旧県社である。このどちらが式内社であるかについて、地元の人たちは二宮をそれにあてる人が多い。また、研究者のなかにも、最近美作国研究に多くの研究成果を発表されている

美作女子大学の八木意知男氏なども二宮を式内社と考えておられるようである。しかしこれに対して大阪教育大学の鳥越憲三郎氏は式内社は高野本郷の高野神社であって、二宮はのちにそれを勘請したものであると主張されている。また明治の国学者である矢野玄道や道家大門、菊地九江等も高野本郷側を主張して、その縁起書を書いている。すなわち、このどちらが式内社であるかどうかということについての議論は今日も続いているのである。

  さて高野本郷の鎮座の当式内社高野神社の創祀はかなり古い。現在の高野本郷のあたりは美作国でも最も古くより拓け、おそらく弥生時代には農耕が営まれていたであろうこと、高野神社の御祭神は、はじめは彦波限建鵜草葺不合尊一神であったであろう点から、弥生時代の頃に吉井川さかのぼって入殖した海人族たちによってこの地が拓かれ、また彼らによって高野神社が創祀されたであろうことが推測できるのである。
「日本三代実録」貞観6(864)年8月15日己己の条に
  美作国従五位下長田神、兎上神、前社神、佐原神、形売神、壱粟神、横見神、久止神、高野神並授従五位上と、他の美作国の諸社と共に従五位上の神位を奉叙されている。この高野神社が式内社高野神社であろうことは「延喜式」の編纂時期に近いことから間違いあるまい。これが本社の正史初出である。この神階奉叙の理由は不詳であるが、美作国の諸神で神階を奉叙された記事が存するのは貞観年間に限られていることから、当時政権を担当していた藤原良房と特別な関係が存したのであろう。この貞観六年の時点で高野神社はまだ官社すなわち式内社には列せられていなかったと思われる。なぜならば当時、美作国で神階が最も高かったのが従四位下の中山神社であるが、その中山神社が官社に列せられたのはこの前日すなわち同年8月14日のことであるからなのである。
  次に正史に所見するのは同じく「三代実録」の貞観17年3月29日壬子条で

  授伊予国従二位大山積神正二位、正四位上磯野神、近江国正四位下三上神並従三位、大和国正
五位下天石戸別神、霊産魂命神並従四位下、美作国従五位上高野神社正五位下、従五位下御鴨神従五位上、因幡国正六位上神前神、伊予国  正六位上風伯神並従五位下と、正五位に昇叙されている。この昇叙で正三位の中山神社についで、高野神社の神階は美作国では第二位となった。中山神社が鉱山神として砂鉄を求めて山に入る人々によって信仰されたのに対して、古くから拓けた農耕地に鎮座された高野神社は農耕神として重んじられたのであろう。それ故、「延喜式」では中山神社とならんで官社(式内社)に列せられたのである。
(これは、武庫川大学講師熊谷保孝氏が式内社研究会の委託を受けて調査し発表された論文の抜粋である)

(情報提供:高野神社)