苅田酒造

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▲城東地区の見所のひとつが「苅田酒造」さんです。

初代・與三左衛門が勝北町上月から津山の城下町に入ったのは、元和元年(1622)のこと、のち宝暦8年(1758)に6代・治七郎が造酒屋を初めて、苅田屋と号した。当家所蔵の『享保年間津山町絵図』では、治七郎の屋敷は、「国信小路」沿いの角地に、間口4間半と描かれている。この本宅は、創業をわずかに遡る宝暦2年(1752)の建築にかかわるものという。小屋組の構法や材の古さから判断すると、本宅の建立を宝暦とみる家伝は妥当なものといえるだろう。(津山城東の町並み・発行:津山市建設部街づくり対策室抜粋)

▲これを引いてシャッターを降ろしたり上げたり。

▲ポストです。

▲お酒が所狭しと並んで

▲賞状達が並んで。


幕末の弘化4年(1847)には大改造がおこなわれ、屋敷の西端に新座敷が付加されており、家相図一葉が残る。また本座敷の建築年代は未詳だが、柱材をみると東側2列ぶんの居室部よりもあきらかに新しい。したがって当初の主屋は、復元平面図に示したように間口3間の土間と間4間の2列居室部からなるものであったと推定される。

土間寄りの第一列目は三室に推定されるが、不明な点が多い。二列目は前から第一室をコーシノマという。本座敷部分は、新座敷との取り合い部分を土間のゲンカンとして式台を設け、床・棚・書院を備えた十二畳半、廻り縁付きの座敷を構える。コーシノマとゲンカンの間は仏間とする。現在の表構えは明治の修理・改装とみるべきであろう。また主屋の奥に築かれた三階建の望楼も明治期の作である。



▲踏み台(古いものです)

▲階段

▲天窓から灯りが。

▲薪で焚くお風呂のたきぐち。

大昔のシャッター式戸です。この重そうな板戸が下りて店が閉るそうです。初めて見てびっくり!(今は留めてあるそうです)

▲苅田酒造玄関です。

箕作阮甫さん達が飲んでいたと思われるお酒を再現した復古酒で、味はまろやかでした。少し変わった味のお酒です。江戸時代の味を復元した復古酒「酔紅楓」

お米の量や麹の量が、今のお酒の造り方と比べると、ビタミン・たんぱく質が沢山入っているのでその分味も濃厚ですが、現在は販売しておりません。

▲津山城東地区の苅田酒造さんならではのお酒が並んでいます。

▲台所にある水屋も時代物です。

▲大きなくどです。

▲おくど様

▲これは湯を沸かす所です。

▲玄関を入って次の土間はひんやりとして涼しいです。


文章は、津山城東の町並み・発行:津山市建設部街づくり対策室より抜粋。


苅田酒造㈱

津山市勝間田町17

(現在閉鎖中)

▲居間でしょうか?

▲天井を見上げたら、傘が。

これはお客様が濡れたらいけないと、準備していた貸し出し用の傘だそうです。昔も今もお客様への心配りは流石。

▲賞状

▲玄関入るとすぐの軒には、提灯があって、これまた、お客様が帰られるのに暗かったらいけないと貸してあげていたとのこと。

▲精巧な油絵で写真かと思いました。

県展に入賞した、この絵を描かれたのは、上之町の粟井さんだそうです。

▲のこ日本画は上之町の杉山ゆう子さんが描かれたそうです。

▲井戸です。今はテーブル?

▲天井

▲お部屋が沢山あって・・・。


  じつに総間口15間半に及ぶこの町家の表構えは、格子・出格子・なまこ壁・袖壁・杉玉・煙出しなど、津山の町並を彩るあらゆる魅力的な要素をそなえている。そして背景にみえる望楼とあいまって、奥行きのある独特な表情を出雲街道に与えている。街道と直行する小路の景観も、酒蔵の妻壁が連続して味わい深い。