貴布祢神社

由緒
貴布禰神社は高お神・闇お神を主神とし八柱の神々をおまつり申しあげてあり、その創立は極めて古く、第十代崇神天皇の御代に倭香平治(現宮司の祖)と言ふ者始めて此の地に奉齊さられたのであります。
古来倭文庄大宮倭文郷総社大宮貴布禰大神社とも称せられ本邦有数の古社であり、明治十七年縣社の列格せられました奥御前神社は本社の境内神社で奥宮であり俗に「狼様」と称せられ、悪魔退散傅染病・火難・盗難除の守護神として有名であり、御神徳四方に輝き給ひ作州は勿論のこと近縣まで多数の崇敬者があります。

2009.8.5

▲狛犬

▲貴布禰神社

▲社名標柱

▲末社神

▲末社神

▲末社神

▲末社神


貴布禰神社(桑上)

 崇神天皇時代の創建ともいわれるが不明である。おそらく、倭文庄が、賀茂社の荘園になった頃(11世紀末)、京都の貴船神社(当時は賀茂社の摂社であった)を勧請したのではないかと考えられる。
  主祭神は、タカオカミ・クラオカミである。この神は竜神で水や雨を司るといわれている。


霜月狼宮大祭 

12月13・14・15日
・春祭/4月15日
・夏祭/7月30日
・秋祭/10月第4日曜日

▲鳥居(表参道)

▲境内の様子

▲拝殿

▲拝殿の中にソファがありました。

▲社務所

▲倉庫の横に絵馬がかけてある。

▲記念碑

▲末社神

▲拝殿

▲鳥居(裏道)

▲本殿を横から望む

▲本殿前

▲記念碑

▲神輿倉

▲看板

▲記念碑

▲桧皮を取った後の檜

▲碑

▲穴が見えます。

▲変わった石

▲狼様

貴布禰神社では、境内の奥御前神社(狼様)が有名である。
  奥御前神社の社殿の裏に丸い穴があけてあり、参拝者がここに食塩を供える習慣になっている。食塩だから板がただれて、あたかも狼の毛がくっついたかのようになっている。また、その近くに斑紋のある石がおいてあって、この斑紋が狼の足跡だとされ、霊験あらたかな神様であるので、作州一円に有名であった。この神様を自分の家に勧請して一年間一家の安全を願うようになっている。毎年12月13・14・15日の三日間のお祭りの時、家々に勧請した狼様を元に納め、新たに勧請して家々に持って帰るのである。
  狼様はミサキ信仰といわれている。ミサキは、神の使者であり悪い霊を追い払い、とりしずめる強い霊力を持っていると考えられた。
  ミサキ(神の使者)として、サル、キツネ、オオカミ、ヘビなどがある。貴布禰神社のミサキはオオカミである。奥御前神社の社殿の穴は北西の方向に開いている。狼様信仰は大山の北にある船上山に本社があり、穴はそちらの方向を向いている。この穴はオオカミの通り道である。
  なお、奥御前神社は、以前は油木上の末兼にあったようだ。

(文:倭文地区の歴史出版委員会 筒塩泰崇)