泰安寺

浄土宗 天崇山 泰安寺(2009.9.18)   御霊屋はこちらから

泰安寺由緒沿革
  当山は詳しくは、天崇山泰安寺と称する浄土宗の大本山知恩院の末寺で美作国での大寺である。
  慶長8年(1603年)信州川中島から津山藩主として入国した森忠政に従って来た旧領美濃国の金山涅槃寺住職前蓮社眼誉が南新座に創建した覚王山涅槃寺からはじまる。
現在地に移ったのは慶長14年(1609年)である。森氏は4代で断絶したが、ついで徳川家康の第2子結城秀康を祖とする松平宣富(初代)が入国し元禄11年(1698年)津山藩主松平氏の菩提寺となった。元文4年(1739年)浄光山泰安寺と改めたが、同年更に天崇山泰安寺となって現在におよんでいる。天保9年(1838年)藩主斉孝(第7代)の死去で当山に埋葬されて以来寺格が進み津山三箇寺のひとつとなり諸寺の上班にあった。
  松平家の菩提寺にふさわしい堂々たる構えを持っている。山門までのかなり長い参道の両脇は老松の並木であったが、第2次世界大戦中に松根油の採集で伐採された。本堂・玄関・客殿・庫裡は威風堂々の構えで重厚と威厳を保って目にせまるものがある。
  明治維新後は、かつての藩主の庇護も途絶え戦後は農地改革で寺が所有していた田畑はすべて失い年月とともに当山の維持管理費もかさばみ荒廃していたが、檀家皆様の御理解ある御淨財によって年々一歩一歩整備充実がなされて往来の格式ある寺の面影がしのばれるようになった。(資料提供:泰安寺)

▲庫裏

▲入口のお地蔵様


 本堂の内陣中央の須彌壇に御本尊として阿弥陀如来が祀られている。
ご相好は来迎印を結び納衣を肩に通された穏やかにして上品に彫り上げられた総金箔仕上げの阿弥陀如来立像である。
  その左側に至勢菩薩と右側に観音菩薩の二つの菩薩が脇侍している。
  また中央天井に総金箔の六角型欄間入り人天蓋とその両脇に総金箔の幢幡が昭和60年新調寄進されている。
  そして内陣奥の左手に宗祖法然上人菩薩がが祀られ、また内陣右手に聖観音菩薩が祀られている。
  外陣の参拝席には数個の礼盤の上に和袈裟と浄土宗信徒日常勤行式の経本があり、木魚も多数常備されている。

▲おじぎそう

▲ガヤの木は碁盤を作ると最高の木だそうです。

▲赤白のさるすべり


泰安寺年中行事

1月/新年法要

3月/お彼岸

8月16日/盆施餓鬼会

9月/お彼岸

12月/年末法要


浄土宗 天崇山 泰安寺

美作西国三十三所観音霊場

津山市西寺町12

電話:0868-23-8141

▲本堂

▲境内

▲客殿玄関

 松平家代々の追遠法会が行われ旧藩主が参拝されるにふさわしい葵の大きな鬼瓦、玄関の破風構えなど堂々たる建造物である玄関踏板は鶯張りである。

▲弁天堂

 弁財天をお祀りしている。

もとインドの川の神で、その像は六臂(び)弁財天で古代色豊かなものである。

 知恵・弁舌の徳をそなえるとされる女神、のちに吉祥天と混同され、財産や福を授ける神とされ、七福神のひとつとして信仰されている。

▲二木刀自頌徳之碑

 二木幾代刀自は女子教育の先覚者的存在で、夙に裁縫並びに茶道(千家裏流)・華道(未生流)の奥義を究めた師であった。(後ろの桜の木は先代の住職が植えられたそうです。)

▲佛足跡石

 お釈迦様が入滅前に残されたといわれる足裏の跡の形を石の上に刻んだものである。

▲鐘楼

第二次世界大戦中に、献納を余儀なくされたが、昭和51年新調寄進したもの。

▲べんがら地蔵(いぼとり地蔵)

▲泰安寺の寺標

 当山入口の右側に寺標、その左手に宇田川家三代墓所の案内石碑がある。

▲入口の溝

▲山門

 4間・1間そして高さ3間半の切妻造りであるが、葵の紋入りの本瓦葺きで当時を偲ばせる堂々の建物である。

 右手には飲酒者は境内に入ることを禁止する石碑がある。

▲不動尊堂

 この堂は天保時代まで津山鶴山城西御殿城内にあり代々の藩主はこのご本尊を祈願佛として信仰厚く、その霊験まことにあらたかなものがあるとされていた。

▲不動尊堂

▲不動尊堂

▲境内

▲庫裏(住職や家族の居間)

 葵の大きな鬼瓦など堂々たる建物で、山門を入るとすぐ右手にある。

宇田川家三代墓所

 平成元年11月12日宇田川三代墓所が泰安寺に移転完了し、法要が行われる。宇田川家は日本の近代文化発展の創始者として郷土の大偉人である。

 津山の「宇田川家三代顕彰実行委員会」が中心となり、東京の多摩霊園より泰安寺墓地に移転改葬され津山の史跡となる。


▲随分古い無縁仏

▲泰安寺にある、今井家のお墓です。

この今井家はここの土地を寄附してくださったり、津山の今井橋はこの今井家が出資なさったそうです。


▲宇田川家三代墓所

▲宇田川家の

▲宇田川榕菴妻の墓

▲宇田川興斎妻子

早世した後妻阿梶と、その子の撤四郎の墓

▲宇田川槐園(玄随)の墓

▲宇田川榛斎(玄真)

▲宇田川榕菴の墓

(2010年5月)津山市指定重要文化財の指定となりました。

泰安寺境内(史跡)
沿革
  天崇山泰安寺は浄土宗大本山知恩院の末寺である。もとは美濃金山にあった涅槃寺が、森家の津山入封にともない移ったものであり、第2代藩主森長継により、秀忠、家綱の霊牌が安置された。松平家入封以降は同家の菩提寺となり、元文4年(1739)に浄光山泰安寺、同年さらに天崇山泰安寺と改称され、妙法寺、本源寺と並ぶ津山三箇寺と称し、諸寺の上に置かれた。

津山市指定重要文化財

本堂 庫裏 客殿 御霊屋 不動堂 表門 森長継第十三子大吉墓 松平宣富墓 松平斉孝墓 

指定理由
 泰安寺は、松平家の菩提寺であり、津山三箇寺のひとつとして、諸寺の上位に置かれた寺院である。境内にある建造物は、藩主が直接かかわったものが多い。また、大名墓についても、森長継寄進のものや、松平家初代、及び7代藩主のものなどがあり、風格を備えたものである。よって、津山市の貴重な文化財として指定し、後世に永く伝えることが望ましい。(津山市教育委員会文化財課)

(2012年2月20日)県重要文化財指定となりました。

県教委は県文化財保護審議会の答申に基づき、津山藩松平家文書(津山郷土博物館所蔵)を県重要文化財に、津山藩主松平家菩提所泰安寺(西寺町)を県史跡に指定すると発表した。

津山藩松平家文書など貴重な資料が残っている。