美作国府跡No2
美作国府跡 |
★史跡美作国分寺跡とその特徴 2009.9.2取材 ★国府台寺(こうだいじ)2010.9.7取材 ★美作總社宮2009.1取材 ★平成21年度現地説明会(岡山県古代吉備文化財センターHP) |
美作国は、和銅6年(713)に備前国から北部6郡(英多(田)・勝田・苫田・久米・大庭・真嶋郡)を分けて新たに誕生しました。美作国府は津山盆地北西側の標高約120mの台地上にあたる、津山市山北・総社・小原周辺に置かれました。 |
美作国府について |
美作国府跡は、津山盆地北西側の約600m四方の範囲にあったと推定されています。発掘調査はその推定範囲内を南北に通る予定路線のうち、山北地区を北から幸畑・高橋上・高橋谷の合計3つの調査区に分けて調査を行いました。 幸畑・高橋上調査区は安定した台地上にあたり、高橋谷調査区は北西から南西方向に下るせまい谷部に位置します。 |
建物 幸畑・高橋上調査区では、奈良〜鎌倉時代の建物が見つかっています。特に、奈良〜平安時代初めの大形建物は官舎と考えられ注目されます。高橋谷調査区では。平安時代の終わり〜鎌倉時代の建物が見つかりました。 平安時代の終わりになると、国司は地方に赴任しないで、実際の仕事は、地元の豪族から選ばれた役人(在庁官人)があたりました。 こうした国の治め方は、奈良時代から続いた国府のあり方にも影響をあたえ、多くの施設もその性格が変ったり、再整備がなされたりしたようです。 |
【写真・文】岡山県古代吉備文化財センター平成20年3月発行「発掘美作国府跡2008」より抜粋(許可済み) |