国府跡(津山市総社)
真言宗 龍起山 国府台寺(こうだいじ)(2010.9.7) |
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美作国府の研究は、明治の歴史家矢吹正則を以て嚆矢とする。矢吹は美作国庁を真言宗龍起山国府台寺近辺に比定した。このあたりの地名「幸畑」が音で「国府」に通じること、平坦でいくぶん高台になっていること、古瓦が出土していることをその証左であるとした。 いま、国府台寺の境内に「美作国府跡碑」があり、この矢吹の説を碑文にしてある。国府物語より抜粋 |
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▲石柱 第75番霊場 国府台寺 津山市総社39番地 納経の場所 第78番 愛染寺 津山市西寺町98番地 |
▲南側から望む ▲境内 ▲本堂 ▲境内 ▲境内にある美作国府跡の碑文 |
▲由来記 此の寺は真言宗 龍起山 国府台寺(こうだいじ)と称す、高野山聖無院の末寺なり。 明和六年今を去る二百十年の昔、津山市総社宇山崎六百九番地に正観音を祀り正観寺と言う。後、明治十八年当地に移轉して国府台寺と改名した。昭和四十七年本堂及び庫裏を新築再建して今日に至る。 美作国府跡の記 美作国府は和銅六年美作の国が備前の国から分離された際に置かれた政庁である。 敷地は約三十六万平方メートルと推察される。 幕末の歌人平賀元義の書いた、山陽名所考に国府の威容春花のにおうが如く盛んなり、とたたえられて居る。 ▲新しくなった山門 ▲南側 |
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