作州民芸館

2009.1.15取材

作州民芸館の建物は、大正9年に土居銀行として建立されましたが、その後、銀行の合同により昭和5年に中国銀行へと変遷(へんせん)しました。建物は、日本塩回送会社、吉井川漁業組合等に所有権が移りましたが、平成4年に津山市が取得し、作州民芸館として活用することになりました。中には、作州地方の民芸品や郷土玩具が展示されています。

登録有形文化財(建造物)

▲左側面

▲民芸館正面

▲記念時計

▲裏口

▲天井

この建築は、ルネッサンス調の意匠を基本にまとめられており、玄関の両翼を少し張り出して厳格な左右対称の正面性の強い特徴となっております。

屋根は急勾配で棟飾りが頂部を引き締めています。

外壁は多様なモチーフを用いてあります。

▲民芸品

▲高田硯(真庭)


▲正面玄関

▲作州民芸館

▲金庫

▲玄関左側

▲作州牛

▲津山ねり天神

▲民芸品

▲横野和紙

▲民芸品


内部は、津山市を中心に作州一円で今も作られている民芸品、郷土玩具などを常設展示をして、この展示品を通じて郷土の歴史や文化及び手仕事の産業に対する認識を深めることができます。

また、二階には城西地区の歴史を物語る資料を展示し、広く城西地区を紹介しています。

▲作州民芸館(裏口)

▲西今町方面(旧出雲街道)

▲宮脇町方面

▲廊下から裏庭を見る

▲民芸品(福むすびetc)

▲作州絣

▲民芸品

▲民芸品

▲民芸品

▲民芸品



2015年3月現在、展示物は変更されております。



まるごと城西をどうぞ!

みんなの文化祭(2013年)

みんなの文化祭(2015年)

2階(2015年3月現在は展示物はございません)

▲上がりきったら、すぐ降り口がある階段

▲2階にある部屋

内部は営業室(旧)のカウンターの腰壁の桝形の意匠、2階の研修室(現)の折上げ格天井などに外観と比べて落ち着いた意匠を用いてあります。

▲2階天井

▲なぜかミシンが。

▲ドア(1F)

▲津山町の地図

▲五つ玉のそろばん

▲型紙

▲型紙

▲型紙

ここに展示している染め型紙は、津山市安岡町の「岸田屋クリーニング」に保存されていた型紙の一部です。

岸田屋クリーニングは昭和初期まで、福渡町で染め屋を営んでおり、型紙はその時まで実際に使用されていたもので、製作年代は江戸時代末から明治、大正期と思われます。

型紙の中には、生産の中心地である「伊勢・白子」の印が押してあるものもあり、この地で製作されたことが分かります。

▲津山町のお店の宣伝

▲西大番所絵図

津山の城下町の中で、町人の住む町は、城下町中心部の内町と外町とから成り立っていました。そして城下町西部においては、藺田川(いだがわ)によって内町と外町が区切られていました。この藺田川に架かる翁橋の東詰めに西大番所が設けられていて、監視の目を光らせていました。

▲今は会議室

▲古いお札


小紋について

小紋とは染物屋が使用する型紙染めの一種で、文様がこまかで細密なものをいう。

かつて、文様が大ぶりなものは大紋、また中ぐらいのものは中形といった。

これより小さな文様を用いて型染めしたものが小紋である。

翁橋(おきなばし)

翁橋(おきなばし)

津山市中心西部を流れる藺田川[いだがわ]に架かる橋長・幅員ともに約10mの小規模な鉄筋コンクリート造T型桁橋。江戸時代には、城下町の西の入り口として橋の東詰に大番所が設けられていた。

大正15年(1926)に現在の形となり、四隅に位置する万成石[まんなりいし]製の大型の欄干親柱には、当時盛行したアールデコ的デザインが施されている。


橋名は、藺田川が一時期「翁川」と呼ばれていたことから命名されたといわれている。江戸時代には茅橋あるいは久蔵橋とも呼ばれていました。

旧出雲街道にかかる橋で、現在のところ登録文化財として指定されている岡山県唯一の橋です。

▲翁橋

▲民芸館より翁橋を望む


作州民芸館

所在地/津山市西今町18番地


▲翁橋より上の藺田川

▲翁橋より下の藺田川


城西地区の歴史

津山の城下町は、大きく分けると三つの部分に分けることができます。

津山城を含む中心部と、宮川以東の城東地区、藺田川以西の城西地区になります。しかし、これは現在の便宜的な区分で、江戸時代の区分では城下内町と外町の区別があったものの、実際には武家町・町人町の区分の方が大きな意味を持っていました。

そして、現在、城西地区と呼ばれている藺田川以西の地区は、当初の慶長年間(1604〜1614)には西寺町の一部が城下町に入っているのみでした。

しかし、その後、森藩政の安定と共に、街道沿いに商人や職人の集住が進み、正保頃(1644〜)には安岡町まで城下町に編入されたのでした。