倭文(しづ)織(幻の織物)復元

幻の織物、倭文織(しづおり)

▲楮(こうぞ)から作られた糸

1996年2月、下池山古墳(天理市)の竪穴式石室の東側にある小石室から大型内行花文鏡が発見された。この大型内行花文鏡の周囲に付着していた縞模様に染められた織物がわが国特有の織物であり、実在の資料がなかった「倭文織」だと考えられるという。

縞織物は、青・黄緑・茶からなる大小様々な縞柄で出来ている。物は、大麻と絹繊維から成っていた。青色は「藍」、茶色は「くちなし」で染められた可能性が強いと考えられている。なお、黄緑は染料が特定できていない。

我が国の古典にしばしば現れる「倭文織」とは、倭(わ)=日本の文つまり、倭に特有の文様を持つ織物のことである。

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)には、倭文の文字は見えないが、239年卑弥呼が中国の皇帝に貢物した「班布」(はんぷ)の可能性が高いという。

しかし、今日、倭文織は実物が存在しない(特定できない)幻の織物なのである。わが倭文地区が地名などから考えて古代に倭文織を生産していたことは事実であろう。

歴史と文化を語る会では、数年前から、幻の織物である倭文織の復元に取り組んでいる。わが地区に自生している楮(こうぞ)やカラムシから糸を取り出し織っている。実物がなく、史料だけの倭文織なので試行錯誤しながら復元に取り組んでいる。倭文織を復元するとともに、倭文地区の歴史を後世に伝えて行くのは、今を生きている我々の責務であると考えている。

(2009.7.17)

1.史料に見える"倭文"

(1)魏志倭人伝

(2)日本書紀

(3)万葉集

(4)出雲国造神賀詞

(5)平安時代の和歌集

(6)常陸風土記久慈郡の条

(7)古語拾遺(天岩戸)

(8)その他


2.倭文織の使われ方

(1)神事用として

(2)高貴な人の装飾品として

(3)恋の場面に登場


3.倭文織の素材

(1)下池山古墳(天理市)出土の布

(2)倭文神は"文布"を織る(古語拾遺)


▲倭文織(しづおり)のれん

▲さをり織り機で織っています。


★倭文(しとり)地区の史跡
しづ織の出来るまで体験


▲倭文織

▲倭文織

倭文織は、"幻の織物"と言われている。倭文織の材料は、文献や遺物資料の情報を欠いている。だから材質の特定は難しい。ただ、わが倭文地区には桑村という地名がある。また、奥の前1号墳出土の内行花文鏡付着布は絹であるという鑑定結果もある。つまり、倭文織は絹を中心に使っていたのではと推測も出来る。

▲やさしい上品な色合いです。

この他、沢山の作品があります。



倭文(しとり)地区に隣接して錦織地区(美咲町)がある。さらに綾部(津山市)という地区もある。錦織や綾織は、渡来系の人々が伝えた絹織物である。倭文織は、日本 (倭)古来の織物である。倭文織が動物繊維(絹)と植物繊維(楮やカラムシなど)で織られていたのなら素材は簡単に入手できたであろう。桑村では鍬を栽培 していたのだから。

倭文地区周辺は、古代は、錦織や綾部などがあるよう一大織物生産地だったと考えられるのである。


なお、楮の糸で織った布は「木綿」(ゆう)といわれる。今、徳島県木頭では、「木綿」(木頭では太布「たふ」という)を織っている。

また、温泉で有名な湯布院は古代の木綿の生産地と考えられる。


倭文織(しづおり)の出来るまで

楮(こうぞ)蒸し作業

2007.1.20

歴史と文化を語る会では、倭文織の復元に取り組んでいる。

倭文織の糸を楮から取り出している。

糸作りには、多くの工程が必要です。

楮蒸しから、皮をはぐ工程が一番大変である。

▲素敵な作品

▲体験学習にて

▲体験学習にて

▲体験学習にて

(1)楮を釜(ドラム缶)に入れる

(2)楮を蒸す(約2時間)

(3)楮の皮をはぐ

(4)皮を灰汁で煮る(約30分)

(5)皮をモミガラにまぶしながら踏み表皮をとる

(6)木槌で軽く打ち、皮をやわらかくする

(7)皮を川にさらす

(8)皮を干す

(9)皮を細かくさき糸にする。


写真・資料提供:

倭文(しとり)地区歴史と文化を語る会

筒塩泰崇さん