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神崎与五郎・茅野和助直筆の書状が明顕寺にあった。

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真宗 大谷派の寺院、超日山 明顕寺(2015年3月15日撮影)
「忠臣蔵」で知られる赤穂義士の1人、神崎与五郎(1666~17033)が妻に宛てた直筆の手紙や、借用書など7点の史料が明顕寺(相生市陸本町)で発見された。今までは「赤穂義士の神崎与五郎関係の書状」と聞かされていたが、一般に公開されたことはなかったそうです。神崎は城明け渡し後、元禄15年春に江戸へ下向するまでに那波に移住。同寺は同年に那波の得乗寺から分寺したとされるため。
 与五郎は江戸で商人を装い、吉良邸の奉公人らから内部の様子を聞き取るなどして討ち入りに貢献したとされる。(情報提供:真宗 大谷派の寺院、明顕寺)

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急げ!津山洋学資料館新館開館5周年記念企画展

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「津山洋学資料館新館開館5周年記念企画展」平戸 松浦家伝来の至宝

 会期:10月11日(土)~11月9日(日)平戸を治めた松浦家に伝来する、貴重な海外交流関係史料です。

 大航海時代、ヨーロッパから出港し、はるかな海路を越えた船が日本へと来航しました。こうして始まった初期のヨーロッパとの交流において重要な役割を果たしたのが、平戸とその領主・松浦家でした。
 ポルトガル船が来航し、オランダやイギリスが商館を設置。幕府によってオランダ商館が出島へ移転させられるまでの約90年間、平戸は「西の都」とよばれるほどの繁栄を極めました。
 本展では、公益財団法人松浦史料博物館の所蔵する資料21点をお借りして展示します。大航海時代から江戸時代はじめの海外交流史を物語る、貴重な資料の数々をぜひご覧ください。(文:津山洋学資料館HPより)

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茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)(津山市河辺)

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⑧茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)
 赤穂浪士として活躍した、茅野和助常成の父・兄・子孫の屋敷跡。
 茅野氏は、元津山城主森家に仕えた人で、浪人として此の地に移り住みました。
和助常成は、播州赤穂城主浅野家に仕え復讐の義挙に加わった。文武両道に通じ、風流の道にも親しんだ人格者であったと言われています。
 今は石碑の場所が僅かに残っているだけですが、以前はとても大きな屋敷だったそうです。

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