宇那提森(うなでがもり)のムクノ木(二宮)
★宇那提の森(ムクノキ)(市指定天然記念物)2013年4月8日取材
巨木のムクノキは、古くから古歌にも名高い名所「宇那提が森」の跡で、もとは繁り栄えた森林でした。しかし、天正年間(1573年頃)宇喜多直家が防塁するため伐採したため、このムクノキ株のみが残ったと伝えられています。推定樹齢は700年で、主幹は根元周囲4m、高さ約10mです。
★宇那提の森(ムクノキ)(市指定天然記念物)2013年4月8日取材
巨木のムクノキは、古くから古歌にも名高い名所「宇那提が森」の跡で、もとは繁り栄えた森林でした。しかし、天正年間(1573年頃)宇喜多直家が防塁するため伐採したため、このムクノキ株のみが残ったと伝えられています。推定樹齢は700年で、主幹は根元周囲4m、高さ約10mです。
麒麟ビールの初代社長 米井源治郎之碑(2013年4月10日取材)
上塩池西側の米井澄近宅沿いに「米井源次郎之碑」がある。蘭学者で医者の仁木永祐が籾保村に開いた籾山校に学び、上京して慶應義塾を卒業後、財界人として明治時代の近代国家確立の一翼を担った米井源治郎の功績を称えるために、生家の当主澄近氏が平成6年(1994)3月に建立した碑である。
文久元年9月16日下高倉東1723番地に米井仲平の次男として誕生、蘭学者 仁木永祐氏の籾山校に学ぶ。後津山藩の豪商磯野氏の世話になり、慶応義塾に学び明治18年3月同校を卒業。後 磯野商店の大番頭として活躍。三菱銀行岩崎久彌氏に信頼され、麒麟ビール、明治ゴム、株式会社ヨネイ等の社長を努めると共に明治屋(旧磯野商店)二代目社長をも努めた。
行年59才 葬儀には、天台宗の大僧正をはじめ多くの政界人や財界人が参列した。(文:米井源次郎之碑より)
主祭神 誉田別尊
由緒沿革 勧請年月は詳らかではないが、口碑によると仁徳帝(313~399)の御宇に帰化した秦氏の祖を部民が斎き祀ったものという。当時此の地に倭部を置いて蚕業織絹の業が大いに拓けた、よって地名を志戸部という。
本山寺の枝垂桜と逆木櫻を一度見てみたいと足を運びました。境内地は四千二百坪、十余棟の堂塔伽藍は、昔に変らぬ面影を伝えています。ここは、国指定文化財、本堂(1350)、三重塔(1652)、宝筐印塔(1335)、県指定文化財、常行堂(1519)、御霊屋(1652)、仁王門(1686)、長屋(1845)、宝筐印塔(1399)、鬼面(1362)、六角型舎利塔(1344)、絹本著色両界曼荼羅図二幅(鎌倉末期)があります。(詳しくはこちらで)
本行寺(ほんぎょうじ)のしだれざくらとひがん桜(2013年3月28日取材)
本行寺は、慶長9年津山市街の成るに及んで南新座に移り、更に今から約367年前の元和2年に現在の西寺町に移ってきた。境内墓地には「人間裁判」の故・朝日茂氏のお墓がある。(詳しくはこちらで)
2013年4月22日のイナバ化粧品店さんの様子です。リフレッシュオープンして綺麗になった店内には、ファンの皆様達がお祝いに贈ってこられた花束や、稲葉浩志さんから贈られた花束が所狭しと飾ってありました。また、白を基調としている店内は以前より明るくすっきりとしています。
室尾神社は、青柳室尾の寺山に在り、祭神は『上加茂村誌』によると、大己貴命・大山紙命・木花咲耶姫命となっているが、『作陽誌』は、父国玉命・事代主命・宇賀魂命だといい、「此神はタタラ師の持来りし神なりと 故に金鋳護の神といふといふ 又山の神ともいふ」と記している。
2013年4月17日の尾所のさくら満開の様子
由来 西暦1450年 年号宝徳2年の頃、山伏が倉見越えの途中ここで休み、持っていた杖を残したまま出立ちした その杖が根づいて今の桜の木になったものと伝えられているこの桜の木は、当村大田進氏より阿波村へ寄贈されたものである。と石碑に書いてありました。
第9回 院庄たかのりまつりが、平成25年4月14日(日)(午前8時~午後4時)作楽神社 境内で執り行われました。雨天決行
「例祭」というのは、神社でいちばん大切なお祭りで、たいていのお宮の秋祭りがそれにあたります。作楽神社の例祭は春で、4月22日と定められています。
後醍醐天皇が院庄館にお着きになり、児島高徳公が桜の幹に十字の詩を記されたのが元弘2年3月17日、それを陽暦に換算して4月22日が由緒のある日として例祭日になりました。しかし、諸般の事情から今は4月第2日曜日に例祭を行って
います。
今年は、和太鼓・剣詩舞・詩吟・銭太鼓・琴・尺八・日本舞踊などなど盛りだくさんのイベントと、津山西中学校吹奏楽部のガレージセールや、剣道奉納大会、つきたて餅、焼きそば、最後にはお餅・お菓子まきがありました。
2013年4月13日(土)津山さくらまつりのイベントに出かけてみました。当日は晴天になり、爽やかな天気となりました。