茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)(津山市河辺)

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⑧茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)
 赤穂浪士として活躍した、茅野和助常成の父・兄・子孫の屋敷跡。
 茅野氏は、元津山城主森家に仕えた人で、浪人として此の地に移り住みました。
和助常成は、播州赤穂城主浅野家に仕え復讐の義挙に加わった。文武両道に通じ、風流の道にも親しんだ人格者であったと言われています。
 今は石碑の場所が僅かに残っているだけですが、以前はとても大きな屋敷だったそうです。

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 場所は国道179号線のすぐ南側で、河辺東バス停留所から石碑がよく見えます。 (河辺の史跡・作成:河辺親和会・河辺町内会より)2014.5.18取材

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「天地の外にあらじな千種だに本さく野べに枯るゝと思へば」辞世句

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茅野和助常成 元禄事件の起る僅か四年前五両二人扶持をもって浅野内匠頭の家来となった。新参者であるが節義に厚い人であったから当初から義盟のうちに加わり開城後も赤穂に残り同志との連絡に当たっていた。封入に際しては裏門隊に属し半弓を射かけて奮戦した。父武助も作州津山藩森家に任えた浪人であった。

昭和五十九年十二月吉日 茅野家七代目 子孫 建つ(石碑より)