2021年03月

旧南和気小学校(農村型リゾート南和気荘)

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 1993年に閉校となった旧南和気小学校をリノベーションし、宿泊施設として、「農村型リゾート南和気荘」が1997年にオープンしました。運営は、美咲町農業公社によって行われています。この施設は、昭和16年に小学校として建てられて、閉校になった校舎を利用したものです。
 ここの南和気小学校の卒業生でもある、北村友恵さんに案内をしていただきました。北村さんの思い出は、木のぬくもりを感じていたことと、冬になれば石油ストーブに火をつけるのですが、低学年の子は新聞紙を持って高学年の後に続き、高学年の子がマッチで火をつける役、高学年の子どもが低学年の面倒を見るという形だったそうです。(2021年1月15日撮影)

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2021「津山さくらまつり」のオープニングセレモニー

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 2021年3月27日(土)天候にも恵まれ、津山城「鶴山公園」で毎年春に行われる「津山さくらまつり」、「津山さくらまつり」オープニングセレモニーが今年はコロナ禍の中で心配しましたが、無事に開催されました。さくらも例年よりも早く咲き始め、しかも晴天の空の下で気持ちの良い日、春の香りを感じながら見る「津山情緒保存会」の皆さんによる艶やかな踊りを見ながら春が来たと実感できました。

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方谷記念館(新見市大佐)

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山田方谷(1805~1877)は、明治3(1870)年、長瀬(高梁市中井町)から亡き母のふるさとである小阪部(新見市大佐)へ住居を移し、小阪部塾を開きました。新しい時代の教育に情熱を捧げるとともに、祖父母の墓を守ったのです。
小阪部での暮らしは、幕末の動乱の時代とは違い、穏やかなものであったようです。その生活の中で目に映る景色や自分の気持ちを詠んでいます。明治10年6月26日、73歳を一期として、小阪部塾で家族らに見守られ静かに永眠しました。
ここ新見市大佐は、山田方谷先生終焉の地であります。(文:現地記念碑より)

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2021千光寺のしだれ桜

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 2021年3月23日、千光寺のしだれ桜を見に行ってきました。今年は桜の枝が台風の為か少し寂しくなっていましたが、それでも見事な花を咲かしていました。境内に垂れ下がる桜の枝の真下に行き、見上げると空から降って来た桜に包まれるような感覚になります.

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春色のイナバ化粧品店内です。

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 2021年3月21日、津山地方は午後から土砂降りの雨になりました。そんな中、久しぶりにイナバ化粧品店に伺ってきました。店内では飾られた商品棚のオレンジ色が春らしくとても素敵でした。ママはいつもと変わらぬ笑顔でファンの皆様をお出迎えしておられました。今日で新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言解除になるのですが、引き続きコロナ対策を忘れず行きましょうとアルコールスプレーを見せてくれたママでした。でも、何処にもいかずにいたので、少しお外に出てみたいそうです。

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企画展「柳谷古墳と石敷きの石室」

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頭椎大刀(かぶつちたち)の把頭(つかがしら)・鞘尾金具(さやじりかなぐ)

 出土遺物が岡山県指定重要文化財に指定されている柳谷古墳を中心に石敷きの石室を持つ古墳に注目した企画展で、石敷きの石室がある津山市内の古墳の構造や出土遺物を紹介しています。
 岡山県古代吉備文化財センターが発掘調査した桑山2号墳(高尾)を除く7基の構造や出土状況、敷き詰められていた石の形状などを説明するパネルや出土品約100点を展示。柳谷古墳(瓜生原、6世紀末~7世紀初頭)は、横穴式石室にこぶし大で角形の石が敷き詰められていたことなどを伝えるパネルと、県指定重要文化財の出土品約30点です。4月16日(金)まで、午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

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第9回 RAKUアート倶楽部展

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 「2021絵画の展覧会 RAKUアート倶楽部展 造形絵画」が、2021年3月12日(金) 10:00 〜 2021年3月14日(日) 17:00まで、津山市立文化展示ホール アルネ・津山4Fで催されました。
 3月13日に伺ってみると、会場内には既に多勢の方が来られていました。35人の生徒さんの作品。パステル・油絵・鉛筆・水墨・墨彩など約100点がずらりと並んでいて、次から次へと見ていて楽しくなる作品たちでした。「TVや新聞のニュースを見て沢山の方においでいただいている。次回は10年目ということで回を追うごとに進化していく。」とは楽せんせいの話でした。

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山田方谷家塾 牛麓舎跡(高梁市)

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 牛麓舎は、山田方谷が有終館の学頭(校長)として藩から与えられた邸宅で天保9(1838)年に開いた家塾です。
 この地が、臥牛山(がぎゅうざん)の南山麓にあったので牛麓舎と名づけられました。方谷の学風を慕って入門するものが常に数十人あり、進鴻渓、大石隼雄、三島中洲、寺島義一など、のちに藩政に活躍した人材を輩出しました。

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城山公園(茶臼山城址展望台)赤磐市

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 吉井川の清流のほとり、空を衝くように茶臼山がそびえ立つ。
備前軍記によると戦国時代に山城があったと記載され、県の史跡になっています。
四季を通じて楽しめる山頂に、城型展望台とともに高瀬舟舟宿を移築し、大型竪穴遺構を推定復元して人々に親しまれる公園にしました。
茶臼山城址展望台
 建物は、茶臼山が山城跡であったことから「城」の形態を採ったもので、現存する同時代の山城の遺構に見られるいくつかの要素を基本に構築したものである。構造は、鉄骨一部鉄筋コンクリート造三階建、延床面積181.32m、高さ14.2m、最上階展望室は、街並みから約135mあり、これは超高層ビルのおよそ35階の高さに相当する。ここからは、吉井川、吉野川流域の景色はもとより、はるか北方の中国山脈も眺望することができる。

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臥牛亭(がぎゅうてい)高梁市指定重要文化財

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 桁行2間、梁間1間半の切妻造、桟瓦葺の平屋です。一方の妻側に半間の庇(ひさし)を設けて戸口とし、他の三方は窓を大きくとって明り障子を立てまわす開放的なつくりとなっています。
 臥牛亭は、江戸幕府14代将軍徳川家茂(いえもち)・15代将軍慶喜(よしのぶ)の2代の将軍に信頼され、2度にわたって老中を勤めた、藩主板倉勝静(かつきよ)が農民の苦労をしのぶため、御根小屋(藩庁)の一郭に農園を設け、明農圃と名付け自ら農耕をしたと言われています。さらにその一隅に小亭(12.4㎡)を建て、農耕の神々を祀り五穀の豊穣を祈りました。
 明治6年(1873)に御根小屋の全建物と共に撤去されましたが、山田方谷はこれを惜しみ、対岸の蓮華寺境内へ、その後八重籬(やえがき)神社に移築され、臥牛亭あるいは明農亭として現在に至っています。平成22年に保存修理を実施しました。
昭和33年2月24日指定 高梁市教育委員会(文:現地案内板より)

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