方谷山田先生遺蹟碑(方谷園)(新見市)
新見市指定史跡 方谷園 指定:昭和51年4月21日
偉大な学者・政治家として、備中松山藩に仕え、藩主が幕閣の老中に登用されると江戸に随行し、徳川幕府の終末期の諸政の難事に当たり事実上の施策を誤らなかった山田方谷(1805~1877)が、明治3年かつての水谷新右衛門尉勝能の小阪部陣屋に私塾(小阪部塾)を開いた場所です。
園内にある「方谷山田先生遺蹟碑」は、勝安房(勝海舟)による題字、三島中洲の撰文、筆は金井之恭によるもので、石碑を彫ったのは倉敷の藤田市太郎です。石碑は明治42年小阪部塾で方谷が息をひきとった時、枕のあった地点に建てられたもので、大正12年、方谷園として開園式が行われました。(犬養毅氏が開園式に来園し揮毫した。)新見市教育委員会(文:現地看板より転載)(2021年2月6日撮影)