無量山 極楽寺 阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第78番札所)
無量山 極楽寺 阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第78番札所)は、津山市加茂町宇野宮の本にあり、宇野簡易郵便局を左折し、すぐ右の極楽寺境内にある。木造瓦葺の本堂の中にある。本尊は阿弥陀如来です。(2025年6月13日撮影)
無量山 極楽寺 阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第78番札所)は、津山市加茂町宇野宮の本にあり、宇野簡易郵便局を左折し、すぐ右の極楽寺境内にある。木造瓦葺の本堂の中にある。本尊は阿弥陀如来です。(2025年6月13日撮影)
2025年6月1日「第42回 津山洋学資料館友の会研修旅行」に参加させていただき、三津同盟ゆかりの地 石州津和野を訪ねてきました。津山市からは片道約4時間の旅でした。
山陰の小京都と言われる津和野と言えば、まず思い出される景色は、古い屋敷の並ぶ街並みと、水路を泳ぐ鯉でしたが、今回実際歩いてみると、鯉が泳ぐ「殿町通り」、商家や酒蔵などが立ち並ぶ「本町通り」等など現代に続く歴史や文化を知ることができたことです。古い街並みを残し育てあげた津和野の人々の思いを感じながらいい町だなぁ~と。また、国際アンデルセン賞を受賞した安野光雅さんの絵本や風景画が大好きで「安野光雅美術館」は是非とも行きたかった所の一つだったので私にとって嬉しい研修でした。
1339年(暦応2)足利尊氏・直義兄弟が夢窓国師の勧めにより、桓武天皇が国分寺を建てたことと同じように、国土安泰・元弘以来の戦死者のために、全国66か国と2島に安国寺を建立しました。『作陽誌』によると美作国では院庄神戸村にありました。しかし戦災にあい、元禄年中の洪水のため跡形もなくなり、吉井川の川敷に安國寺瀬という名だけ残されていると伝えられています。
1689年(元禄2)龍雲寺の夢堂自桓禅師は藩主森長継公に請い、当時英田郡作東町角南村(現美作市)龍雲寺にあった十一面観音を移し、善福寺の開祖となりました。
宝暦年間(1751~1764)に四世萬愚和尚が許を得て善福寺を安国寺と改めました。
下行重大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第63番札所)は、津山市加茂町行重下行重地内にあり、県道から少し入ったところです。木造瓦葺き、モルタル壁の公会堂の中にあります。ご本尊は阿弥陀如来です。
丁度この日は公会堂がお休みで中を拝見する琴ができませんでした。
(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
大字宮部下にある地名で「つゞみち」というのが本来の地名であるが、これに「鼓打」と言う漢字をあてた為に「つゞみうち」となって次の伝説が発生したのかもしれない。
後醍醐天皇が隠岐へ御遷幸の途次、ここで鼓をうたれたということである。(文:久米町史下巻 伝説より)(2025年5月17日撮影)
鉾ノ原薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第83番札所)は、加茂町黒木鉾ノ原の黒木ダム1km位の民家脇を山の中に数百メートル入ったところにあり、木造トタン葺き、外壁はトタン張り。本尊は薬師如来です。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
庄原大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第81番札所)は、加茂町倉見庄原地内の基幹林道上にある。木造トタン葺き、外壁はトタン張りです。本尊は薬師如来です。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
2025年5月29日、4年ぶりに美作市にある富阪皓一さんのバラ園を訪ねてきました。
曇り空で、しかも夕刻の訪問となったため、少し画面が暗くなってしまいました。富阪さん宅のバラ園には只今630株、570種のバラと、クレマチス110種が植えられています。中には殿堂入りのバラもあり紹介していただきました。
只今、真っ盛りのバラ園、オープンガーデンではないのが残念ですが、常連のバラのお好きな方や友人たちが毎年来られるそうです。毎年、進化し続ける素敵なバラ園でした。
丸山山妙願寺大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第72番札所)は、加茂町樽井後の民家の横にあります。建物はコンクリートで作られています。本尊は釈迦如来です。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)
楢井前大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第71番札所)は、加茂町樽井地内にあり、県道の道路脇の公会堂の横にあります。木造、白壁で、本尊は弘法大師です。(先達は木元林造さん)(2022年11月9日撮影)