地域別

尾所大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第21番札所)

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 創建年代は不詳である。口碑によれば、このお堂には地区内各所に祀られていたものを集めたともいい、延享2年(1745)8月15日、天保5年(1834)と墨書された厨子もある。
 従来は堂内の床は板張りで間口に戸はなく、百万遍念仏、お籠りなどの際にはムシロ持参であったが、昭和62年ごろ入口に戸を立て、畳を敷いた。今では地区内の女性有志によって毎月20日大師講を開催している。
 本尊は弘法大師、中には光背(残欠)のある仏立像があるが、その両側の五個の厨子の内三個は高座の弘法大師である。

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県道・物見峠の改修(津山市物見)

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  物見峠を越えて因幡国へ通じる県道(旧因幡街道)の改修について、以前この県道は、公郷から下津川までの間を松ヶ乢(たわ)越といって、現県道より上の山腹を通じていたが、明治中期頃に現在位置の道筋に変更されている。
 この詳細については不明であるが、明治19年頃に勝北郡堀坂村より物見村までの改修工事が行われたことが、豊岡貢所蔵文書によってわかる。
 また、桑原地内の旧道は、旧加茂東小学校前を通り、井手の上手から井手に沿って藤の木までであったが、これは昭和3年(1928)3月の因美線津山-加茂間の開通にともなって大改修が行われ、道筋も公郷・桑原両地内をほぼ直線で貫通する現県道筋となった。
 その後、この道路は、昭和37年(1962)10月の県営黒木ダムの建設にともなう資材輸送のために拡幅・整備がなされ、翌38年春、工事が完しその両目を一新した。
 このような道路変更にともなって町並も変わった、すなわち、因美線の開通以前には、往来筋に民家も建ち並んで「町屋敷」とよばれ繁盛していた旧道筋は、県道路線変更によってさびれていたので、これに沿った民家も次々と新県道沿いの場所へと移動していき、現在のような町並を形成するにいたった。

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塔中大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第2番札所)

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 塔中大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第2番札所)
津山市加茂町塔中(たっちゅう)下の善行舎の裏にあり、墓地入口です。
本尊は弘法大師だそうです。(長年、加茂郷88ヶ所霊場めぐりの先達をされてきた加茂町小中原の木元林造さんに案内いただきました。)

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小中原観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第87番札所)

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 2022年9月15日小中原観音堂(加茂郷88ヶ所霊場第87番札所)を地元にお住いの木元林造さんに案内して頂きました。この観音堂は、曹洞宗 成興寺の境内にあり、旧道沿いにあります。すぐ近くには、大庄屋の中西邸跡や、万燈山古墳文殊堂(加茂郷88ヶ所霊場第1番札所)があります。
また、三角屋根の百々温泉 めぐみ荘があり、おススメです。

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在りし日の田渕家住宅(旧永田家住宅)

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津山城下の武家地であった田町地区の南西部に位置する旧田淵邸の長屋門です。
 規模は桁行14.82m、梁間3.96mで、門扉は西に寄せられており、外観は漆喰塗で、街路に面した南側は下見板張、切妻屋根桟瓦葺きの建物です。
 建築時期は、天保11年(1840)に田淵守助がこの屋敷を拝領した頃と推定されます。
その頃の田淵家の実禄は50石で、料理人から、郡代・町奉行・勘定奉行・祐筆・槍術指南役などを勤めました。
 田淵家が拝領する以前のこの屋敷には、津山藩儒官の永田敬蔵が居住していました。
 学問修行中の箕作阮甫は医術修行で上京する前、永田家にしばらく寄寓していたという記録があり、その場所がこの屋敷であれば、津山洋学ゆかりの地でもあります。
平成27年3月 津山市(2016年7月23日撮影)(文:案内板より)

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知新館の土蔵「家引き」で大改修

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 平成10年10月に国の登録有形文化財となった「知新館」は、岡山県北の城下町津山市の南新座に伝わる武家屋敷で、第35代内閣総理大臣平沼騏一郎(1867~1952)の別邸として建てられたものです。
 土蔵は木造二階建桟瓦葺、塀は土塀桟瓦葺、また表門は腕木門桟瓦葺であり、中級武士住宅の典型的な形態をとった建物です。
 その中の土蔵の基礎が古くなり、土蔵自体が傾いてしまったので修復をすることになりました。修復の方法は家曳き移動です。建物を基礎から切り離し、その下にレールとなる鋼材を敷きこんで、その上をゆっくりと移動させ、その後、再度基礎の上に家を据える方法です。
(2022年1月28日・4月4日撮影)

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内構(草苅氏居館跡)

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内構(草苅氏居館跡)
 内構(うちがまえ)は、標高756mの矢筈山の北西山麓に位置する津山市加茂町知和の大ヶ原に、戦国時代につくられた矢筈城(高山城)主草苅氏の大規模な居館跡です。
 その広さは、『東作誌』では「三反七畝十五歩とあれども甚だ宏し」と記され、『苫田郡誌』では「千五百余坪」と記されるなど、かなりの規模の居館があったことがうかがえます。
 内構のある「大ヶ原」は、江戸時代には「臺ヶ原」あるいは「台ヶ原」と記されいたことからもわかるように、城主草苅氏の居館は、周囲の地形より一段高い広大な平地に建てられ、居館のすぐ北側を流れる加茂川が堀の役目を果たしていました。
 『苫田郡誌』には、「草苅氏在城の当時は城下頗る(すこぶる)繁盛せり、今なお地中より刀剣瓦片等の遺物を発掘することあり」と記されており、内構には「石垣」や「虎口(こぐち)」等の遺構が今も残っています。
(内構は、平成18年3月17日付で岡山県指定史跡となった矢筈城跡の一部に含まれています。)
矢筈城跡保存会・津山市教育委員会(文:現地看板より)(2022年9月18日撮影)

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前河原大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第32番札所)

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 加茂町大字知和の千磐(ちいわ)神社の駐車場に建立されている加茂郷88ヶ所霊場第32番札所があります。比較的新しく建て直されたのか新しく綺麗です。本尊は弘法大師です。
矢筈城址上り口にある千磐(ちいわ)神社千磐(ちいわ)神社のスギ津山市指定天然記念物「臥龍藤」藤の花矢筈神社(2021年5月9日撮影)

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倉見東大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第82番札所)

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 津山市加茂町倉見東にある倉見神社から旧道を数百メートル行くと、道のそばに倉見東大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第82番札所)があります。本尊は阿弥陀如来です。周囲は倉見の大自然が広がり秋には紅葉が美しいところです。(2020年11月14日取材)

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東美作路名木百選「酒本家のムクノキ」と「髙仁姫宮の碑」(勝央町)

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 勝央町の文化財保護委員長の赤木耕三さんに案内していただいて、「東美作路名木百選 酒本家のムクノキ(ニレ科)」と「髙仁姫宮の碑」を巡って来ました。
 ムクノキの巨木はまるで髙仁姫宮の碑を囲んでいるように根を張っています。その髙仁姫宮の碑の裏には酒本同族会が建立した酒本家のルーツが書いてありました。また、近くには後南朝初代高福天皇の第一皇子尊秀親王のお墓と伝えられている地や、如意輪観音寺跡がありました。(2021年8月28日取材)

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