地域別

田中孝夫が残した作品たち

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 田中孝夫氏は、大正10年3月津山中学を卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)の西洋画科を卒業後、昭和3年4月兵庫県立丹波篠山高等女学校勤務、その後、岡山県立津山峰南高等学校(現津山工業高校)の第6代校長になり、昭和25年3月5日退職。しばらくして昭和31年作陽短大、昭和32年から美作短大の教授になった田中孝夫氏ですが、ここでは一部ですが氏が残した作品たちをご紹介してみます。
 上記の絵は、丹波篠山高等女学校時代に制作したバレーボールをする少女達の絵「さわやかな丘」が文展に初入選。迫力のある絵で最優秀作品候補になった絵です。

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山田方谷旧宅及び長瀬塾跡

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 この付近には、かつて山田方谷(備中松山藩士・漢学者1805~1877)居宅があり、川沿いには十数本の松が並んでいて、対岸へは専用の渡し舟で渡っていました。方谷は藩政改革を成し遂げた後、領内の守備と耕作地開拓のため藩士を移住させる「在宅土着」の理念を実行しようと、藩主に願い出て安政6年(1859)に備中松山城下からここに移り住みました。月の内、半分は藩の仕事で城下に出向き、残りは対岸の山などを開墾しました。また、この年、長岡藩士の河井継之助(1827~1868)が方谷の教えを請いにこの地を訪れています。
 方谷は政治から手を引いた、明治元年(1868)私塾・長瀬塾を開きました。彼に学びたい人々が次々に集まり、塾では学問と同時に人間教育が実践されました。当時の名簿には63人の名前が記載されていますが、実際にはもっと多くの塾生が学んでいたといわれています。
 学規(塾のきまり)も5条定められていました。要約すると次のようになります。
1,1日と5の付く日は休みとする。しかし、起床・消灯は平日と同じにする。
2,帰省および遠出のほかは外泊してはいけない。理由があって帰れないときは報告する。
3,毎朝、先祖・父母に向かってあいさつを欠かさない。これを怠るものは退学を命ずる。
4,秋冬にはしっかり読書する。
5,寮内を清潔にし、傘、はき物などよく整頓し、決して他人のものは使用しない。 
高梁市教育委員会

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2021白加美神社の夏祭り

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 2021年7月17日の土曜日、津山市小田中にある白加美神社で夏祭りがありました。
町内会の氏子の皆さんが久しぶりに集まり話をしたり、子どもたちの笑顔もみえ、楽しい雰囲気でした。コロナ禍の中、座るのも家族単位です。町内会でも滅多に会うこともなくなっている昨今ですが、みんなと話が出来る事っていいなぁ~とつくづく思いました。早く新型コロナウイルス感染が終息することを祈って。

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世界最美の蝶と神秘の宝石昆虫標本展

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 この度、ポートアート&デザイン津山では、津山市在住の小枝正和氏が収集した蝶や昆虫の標本展を開催いたします。青く輝く「モルフォ蝶」や宝石のように光る「プラチナコガネ」など世界の珍しい希少な昆虫標本が一堂に会します。
 小枝氏は2017年、交通事故により生死の境をさまよい、瀕死の重傷を負いながらも緊急手術で一命を取り留められました。絶望を味わう痛みと不安に襲われる、3ヶ月もの苦しい入院生活の中、偶然見つけた「モルフォ蝶」の美しさに心奪われます。
 その後、標本集めに没頭し、厳しい自然界を必死で生きる昆虫たちの力強い生命力や前向きに生きる姿に勇気をもらったといいます。
 本展では、小枝氏が集めた世界でも貴重な標本の数々を展示いたします。
蝶や昆虫が好きな方々はもちろん、今まさに不安や苦しみの中にいて、生きづらさやつらい思いを抱えながら生きている方々にも、蝶の生命力や昆虫の躍動感、前を向いて生きるたくましさを感じていただければ幸いです。                       ポート アート&デザイン津山

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2021 作楽神社でひっそり咲く花たち

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 2021年6月20日小雨が降っている中でしたが、作楽神社へ行ってきました。
久し振りの訪問となりましたが、お参りした後ふと見ると、なんとなんと可愛いお花がひっそりと咲いていたので思わず撮ってきました。ただし、お花の名前がよくわからないのが残念です。次回は花アプリを入れて訪問してみたいと思います。

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旧備中松山藩御茶屋跡(通称「水車」)

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 ここは、備中松山藩6代藩主板倉勝職(1803~1849)が、別邸として建てた御茶屋跡です。隣接して水車があったことから通称「水車」と呼ばれました。平成23年(2011)3月、高梁市教育委員会が実施した遺構調査で、水車跡の石組みが発掘され「水車」の呼称の裏付けとなりました。
 幕末に藩政改革をすすめていた山田方谷(1805~1877)は元締役を辞した後、安政6年(1859)4月、長瀬(現・JR伯備線方谷駅)に住居を移しましたが、年寄役助勤として引き続き藩政に参画することとなったため、当時、利用のなかったこの「水車」を城下滞在時の宿舎としていました。
 同年7月、越後長岡藩士河合継之助(1827~1868)が報告の教えを請いに訪れた時はじめは武家屋敷花屋(高梁市鍛治町)に宿泊しますが、8月3日からここ「水車」に移り、長瀬とを往復しながら従学し、方谷の門人進鴻渓(1821~1884)、三島中州(1830~1919)などとの交流もありました。また、周防岩国藩の儒学者東澤瀉(1832~1891)もここに宿泊し、方谷と交流し数日滞在しています。
 現在の施設は、御茶屋跡に唯一残されていた建造物を、平成18年度(2006年度)に高梁方谷会・高橋地域まちづくり推進委員会・(社)日本建築学会中国支部岡山支所が調査し、これに基づいて平成24年度(2012年度)に水車とともに整備したものです。
落成記念:平成25年6月 高梁市(文:現地案内板より転載)(2021年2月10日撮影)

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【津山人】津山工業高校第6代校長 田中孝夫氏

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田中孝夫氏 画家(1902~1967)
 明治35年1月30日西苫田郡小田中270で生れ。その後上京し、東京市芝区神谷町へ転居。大正2年4月29日父治平死亡後はそのまま東京に居住していたが、孝夫が小学校5年終了後、津山へ帰郷し津山市田町に居住。
 大正10年3月津山中学を卒業後、東京美術学校(現東京藝術大学)の西洋画科を卒業。美術教員の資格を得て、昭和3年4月兵庫県立丹波篠山高等女学校勤務、その後、岡山県立津山峰南高等学校(現津山工業高校)の第6代校長になる。昭和25年3月5日退職。しばらくして昭和31年作陽短大、昭和32年から美作短大の教授になる。人柄がソフトで穏やかでいつもにこにこしていたそうです。日本人離れした風貌なので女学生のあこがれだったとか。
 丹波篠山高等女学校時代に制作したバレーボールをする少女達の絵「さわやかな丘」が文展に初入選。その作品は迫力のある絵で最優秀作品候補になった。また、津山工業高校の校章をデザインしたのも孝夫だった。(文:埀井悦子さん、原田兼子さん添削)

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2021まきばの館のラベンダー畑(美咲町)

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 2021年6月27日、まきばの館までラベンダーの香りを楽しもうと友人を引き連れてやってきました。コロナ禍で外出を控えていた家族連れが沢山お見えになっていました。
 ラベンダーの種類にもよりますが、これからが本番でしょうね。いつものようにいろんなハーブやダリアが可愛く咲いていました。また、珍しい草花もいっぱいです。
 まきばの館は、岡山県農林水産総合センター畜産研究所が畜産や畜産物に対する理解を深めてもらい憩いの場所にしてもらうことを目的に平成3年4月に開園した施設です。

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2021江見さん宅のバラ園です。

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 2021年の美作市にある年々進化している江見さん宅のバラ園です。
江見さん宅のバラ園は、バラだけではなく小さな可愛いお花も沢山植えられていて、色々と楽しめます。今年は山際の方にアーチが出来ていて更に広がっていました。ピンクのアジサイが新入りで可愛く咲いていました。また、花々の間からは可愛い動物が顔を出してお出迎えしてくれます。

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2021ウッドパーク声ヶ乢のあじさいの花

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 2021年6月27日のウッドパーク声ヶ乢のあじさいの花です。(2014.7.1には沢山ありました
ここのあじさいの花は嘗ては色とりどりのあじさいの花が沢山咲いていましたが、近年はどうしたわけか、年々少なくなってきて淋しいです。広いとお手入れも大変になり、高齢化に加え鹿の被害もあるでしょうから何とも言えません。その代わり、夏椿が年々大きくなりとても綺麗ですよ。

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