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取材記事内を検索ワード「昭和池」で検索した結果,4件の記事が見つかりました。

2022 昭和池と周辺のさくら

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 市の北西部、鏡野町にほど近い中国山地の懐は市内でも有数の農業地帯。起伏にとんだ地形ながら、農家が丹精した美しい田園が連なる。
 豊かな実りをもたらす市内の広範囲な田畑に水を供給するのが、東田辺と山方にまたがる昭和池だ。黒沢山へと続く急峻な道を登ることわずか、眼前に満々と水をたたえた湖面が広がった。
 地域住民からのかんがい事業の要請を受け、昭和七年、県営事業として着工。当時の不況下、幾多の困難を克服しながら同13年、一応の完成を見た。堤高35m、堤長85m、貯水量は52万1千トン。市内約240ヵ所のため池では最大規模となった。
 昭和池は、渇水時でも決して池が干上がることのないよう、自然流化では取水できないデッドウオーター(止水)が設けられた市内で数少ない人工池。湖岸に係留されたカッターは、かつて、全国大会で7年連続総合優勝した津山海洋少年団の練習艇。池の意外な側面である。
 湖面は春には湖岸の桜や若葉を映し、秋には鮮やかな紅葉がさざ波に揺れる。四季折々の景色を楽しみに遠方から訪ねるハイカーも多い。(文:『津山百景』より)(2022年4月3日・4月5日撮影)(2017年昭和池の記事

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2019 黒沢山萬福寺の紅葉

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 2019年11月30日の黒沢山萬福寺から望む津山市内です。
子どもの生まれて初めての厄除け『十三参り』は、虚空蔵菩薩さまに智・力・福を授かる加持として今に伝えられている。境内には、開山より約100年の後、弘法大師様、来山の折、錫を持って加持の為の秘水(阿伽の水)を湧かされたと伝えられる霊泉『明星水』がある。秋から冬にかけて朝に見る事ができる雲海、津山市を一望する夜景、太陽の動き・季節とともに移り変わる山の色、さまざまな景色が望める展望所が心を癒してくれる。

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昭和池(津山市東田辺地内)

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 東西一宮、高田、東苫田、西苫田地区430町歩の水田の灌漑用水確保のため、昭和3年県議会において承認され、昭和5年3月農林大臣より国庫補助の指令があり、耕地整理組合が設立され、昭和7年3月着工、昭和13年3月竣工した。総工費38万5千円。最高水深18m余。貯水量50万トン。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日・4月18日撮影)

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黒姫(黒目売)神社 (津山市東田辺地内)

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 『黒姫神社』は、第16代仁徳天皇と美貌の「黒日売にかかわる物語」を秘めた神社である。付近には黒日売の生家、吉備の豪族「海部直」が住んでいたという『尼堤』『誰夫山』、または黒日売の墓といわれる塚もあり、終焉の地『打伏』がある。
仁徳天皇が黒日売の帰国の跡を尋ねて吉備の山方に行幸されたときの、御製に
「山県に蒔ける菘菜も吉備人と 共にし採めば楽しくもあるか」
天皇が都に帰るとき黒日売は
「倭方へに 往くは誰が夫隠り木の 下より延ひつつ 往くは誰が夫」と詠んだ。『古事記・美作鏡』
因みに黒目谷の東北に鷹妻山あり、鷹妻は「誰が夫」、黒目は「黒女」に通ずると。『苫田郡誌、郷土の歩み』
  神社は初め黒目売の住んでいたといわれる「黒目」にあったが、昭和40年代に昭和池の畔に移転された。

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