光伯(こうはく)地蔵(西吉田)
植月秀俊さんの奥様のお話では、光伯地蔵様の縁日には夜店がでて賑やかだったそうです。また、足が治るとの言い伝えから、足が悪い人がわらじを持ってお参りに来ていたそうです。昔はとても大きなわらじがお供えしてあったそうです。(2011年6月25日取材)
植月秀俊さんの奥様のお話では、光伯地蔵様の縁日には夜店がでて賑やかだったそうです。また、足が治るとの言い伝えから、足が悪い人がわらじを持ってお参りに来ていたそうです。昔はとても大きなわらじがお供えしてあったそうです。(2011年6月25日取材)
▲志見山 岩尾寺(2011.5.8)
縁起略
聖武天皇の御宇、行基法師がこの地を訪れたときに、山中に病に臥す乞児を見つけられた。
上人が「どこか苦しいのか。もしよければ・・・」と訊ねたところ、乞児は「私は病に冒されていて、湯治に向かっているところでございます。」と答えたと言う。
それならばと、法師が乞児を扶けて、その温泉にいっしょに行くと、乞児は仏の姿となって「私は医王山に在る少彦名命(薬師如来の垂迹とされる湯治・病気平癒の神)である。仮に病の身となって、上人を試したのだ。」と告げ、忽ちに姿を消されたそうである。
これに感嘆された上人が、自ら薬師如来像を刻み、この温泉に安置されたのが、この寺の始まりとされている。(しかし、平成の今、寺内に温泉の湧出は無い。)
志見山 岩尾寺
所在 岡山県津山市吉見133
本尊 薬師如来
所属 真言宗大覚寺派

青木山 寂静院 聖徳寺の開基
当山は、和銅7年(714年)6 月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田 中に移しました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により 願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊として安置 した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。(情報提供:聖徳寺)

医王山 薬師院 長雲寺縁起
往古、聖武天皇の御代に、行基菩薩の建立されし東漸寺(当時の東百メートルに地名が残る)は尼子・毛利の争いのため灰燼に来す。その跡地に残りし薬師如来像を運びて薬師堂を建立す。
寛永元年(1624)備中の僧西乗院この地に来りて1寺を構え、いくばくもなくして帰る。同3年(1626)僧円寿、住職し、医王山長雲寺と号す。明暦 3年(1656)津山城主森長継公の女が眼病にて参詣祈願し利益を得て平癒す。よりて長継公堂宇を新築寄進す。爾来、賽者多く、世人伝えて出雲一畑薬師の 分身なりという。毎月8日の本尊縁日には終日参詣者が絶えない。
・本尊/薬師如来、脇侍 日光菩薩、脇侍 月光菩薩、脇侍 十二神将。本尊薬師如来の脇侍ならびに守護神にして、本尊如来の両脇に祀る。特に十二神将は薬 師如来を信修する者を1年間1躰ずつ開扉す。
・鎮守堂/本尊摩利支天。南岸の石山寺の摩利支天と対峙し、武運の守護神として尊崇さる。寛政11年(1761)に逝去されし武人、東常直も当山鎮守堂の施主なり。(当時の位牌有り) 別尊、三鬼大権現。養蚕の神として尊崇さる。
・石仏三十三観音/参道の両脇に祠られおりしを、大正年間、本堂裏に移し祠る。お堂巡りをし巡拝すれば、西国三十三ヶ所の巡拝すると同じ功徳を得るといわる。
・石仏/腰折れ地蔵(石段下の堂に祀る)いつの頃よりか、腰を病む者に御利益ありと詣ず者多し。地蔵に詣でし後、地蔵の腰紐を借り、御利益を受くれば、新 しき紐を倍にして返す。 地蔵常に新しき紐を多数諦めてござる。(2010.1.16取材)
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▲2011年3月4日(金)午前6時に集合して美作国嵯峨山城跡へ行きました。(往復約40分)
正面に見えるのは津山城「鶴山城跡」です。皆さんもいかがですか?私にとって新しい発見があり、また、とっても清々しい朝となり幸せな気分で一日が過ごせました。【4月満開のつつじ】 【嵯峨山城跡とは】