取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「坂」で検索した結果,294件の記事が見つかりました。

「イルカ ファミリー・コンサート」9月21日のご案内

イルカ800.jpg◆イルカ  

シンガーソングライター、絵本作家。
 東京生まれ。女子美術大学に在学中からフォークグループを結成、シュリークスを経て1974年『あの頃のぼくは』でソロデビュー。翌1975年、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による『なごり雪』をカバーして大ヒットした。夫の故・神部和夫は幼少時代、津山で過ごした。イルカとは1972年に結婚、シュリークスのメンバーだったが、イルカのソロデビューに伴い、彼女の音楽プロデューサー及びマネージャー業に専念。2007年に他界した。
 また、イルカはIUCN国際自然保護連合親善大使、津山市市政アドバイザーを務める。


2011~2012 ~震災復興支援コンサート~ 


 

  9月21日(水)イルカ ファミリー・コンサート津山文化センター

18:00開場18:30開演 入場料:3,500〔全席指定〕 ※無料託児サービスあり。

津山市の市政アドバイザーでもあるシンガーソングライターのイルカが、実父でジャズ・サックス奏者の保坂俊雄と、息子の神部冬馬の三世代で贈る、ほのぼのコンサート。

ゲスト出演:津山少年少女合唱団 〔情報提供:津山国際総合音楽祭委員会〕

「イルカ ファミリー・コンサート」9月21日のご案内の続きを読む

東日本大震災の復興を願ってみんなで歌おう♪

津山国際総合音楽祭 2011年9月17日~25日
東日本大震災の復興を願って、みんなで歌おう♪「上を向いて歩こう」2011年9月17日11時。市内いろんなところで「上を向いて歩こう」を歌いましょう♪

2011年9月17日(土)11:00、参加できる方全員で「上を向いて歩こう」を歌いましょう!家族やお友だち、グループなどで歌い、口ずさみ、あなたの自由なスタイルで東日本へ心強いメッセージを届けよう!

お知らせいただいたら、津山文化センター入口の黒板にお花が咲きます。沢山のお花で埋め尽くしましょう!

>>上を向いて歩こう みんなで歌おう 参加申込書ダウンロード(PDF・143KB)

印刷してご記入の上、FAXまたは郵送にて、「津山国際総合音楽祭委員会」までお送り下さい。

送付先:

FAX 0868-24-1199      TEL 0868-24-7744
708-0022 津山市山下68番地 津山文化センター内 津山国際総合音楽祭委員会

東日本大震災の復興を願ってみんなで歌おう♪の続きを読む

堀坂上の稲荷山

kami.jpg

真澄社(向かって右から2番目のお社)
 真澄社は、堀坂上の市道からすぐ登れる耳高下の俗称稲荷山の山上にあり、上からは堀坂田圃が見わたせます。毎年4月上旬の日曜日に、上土居が真澄社、金毘羅社、稲荷神社、井手守社の合同春祭りとして祀っています。この日はお花見を兼ねて行われ、子どもから年配者まで多くの住民が参拝してにぎわっています。
 (1)真澄社の内容は、定かではないが伝えによると、明治の初期に起きた人身事件の供養のため村長が中心となって祀る慣わしで、今日まで引き継いでいます。
 (2)金毘羅社は、讃岐(香川)の金毘羅神社の勧請として、また稲荷神社は、備中高松(岡山市)稲荷神社の勧請として祀っているものです。昔遠くへ参拝に出かけられなかった時代に、こうした分社を作って、農業・商業などの繁栄と家内安全を祈願したものです。
 (3)愛宕神社は、京都の愛宕神社の勧請で“火伏の神”と呼ばれ毎年8月24日の夕刻に社前で迎火をたき、町内に火災がないよう安全祈願をしています。
 (4)井手守社は堀坂田畑の水が常に保たれるように“水の守”として祀っています。

堀坂上の稲荷山の続きを読む

川崎八幡神社の湯立て神事

川崎八幡2122の3.jpg

▲湯立て神事(写真は2010年) 川崎八幡様年取材記事 

川崎八幡神社縁起 

 鎌倉時代(1185~1333年)後期、朝廷は南北に分裂し、うち続く戦乱に世相は騒然を極めていた。

 元弘二年(1332年)後醍醐帝は、隠岐配流の途中、院庄に駐輦された。
 備前国の忠臣、児島高徳は、杉坂峠(作東町)から御跡を慕い、院庄館で夜陰にまぎれ庭の桜樹に十字詩を奉った。

当事の林田郷川崎村は、吉井川と加茂川が合流して出来た三角州一帯(宇古屋敷)に在り、農耕を主体として生計を営んでいた。洪水による自然災害や、うち続く戦乱のなかで住民は信仰により安住を求めるようになったのであろう。
 元弘元年(1331年、661年前)豊前国宇佐郷(大分県宇佐市)に鎮座する宇佐八幡宮(祭神:誉田別尊「応神天皇」、比売神、気長足姫尊「神功皇后」の三神)を勧請し古屋敷地内に奉祠した。

 慶長八年(1603年、389年前)森 忠政が津山藩主として、信州川中島から、18万6500石を領し入卦、二代長継、三代長義に亘り、石高を増やすため新田の開発を図るとともに、平地から集落を高地へと移転させ農地の拡張を図ったため、実石高は26万石を超えるまでとなった。

 貞享二年(1685年、307年前)三代藩主長義の代に、川崎村の集落は北側の高台(宇寄広)に移転させられた。これにともない、神社も現在地(津山市川崎八幡西1042番地)に遷祠され、社号を弓矢八幡宮と称し安産の守護神として氏子はもとより近隣からも崇敬された。

 境内に三宝荒神社、末社として大歳大明神、惣道大明神、春日大明神、兼田大明神の四社が合祠された。

 現本殿は、近郷まれに見る緻細な彫刻を配しており、文政四年(1821年、171年前)津山藩主、八代松平斉民(確堂)の時代に再建されたものと考察される。(基礎台石に文政治四年三月、石工嘉左衛門の記名がある。) 旧拝殿や舞台、御輿、末社について江戸中期から後期にかけて建設されたものと考えられているが記録はない。先祖代々、崇敬維持されてきた神社拝殿、末社が老朽のため、このたび改築の運びとなったことは、氏子をはじめ関係者の皆様の信仰と郷土愛の賜であり、これを子々孫々に至るまで敬拝、継承を念ずるものであります。(2011年7月18日取材)

川崎八幡神社の湯立て神事の続きを読む

堂明様(堀坂地区)

jizou2.jpg

堂明様
 中土居にある堂明様は毎年4月3日を中心に土居でお祭りをしている八幡道地蔵(通称:堂明様)であり、寛文11年(1671年)新野上分字今宮から現在地に移したものです。この地蔵菩薩様は当時村落でよくないことが次々と起き、こうした悪事をおさめるため、お祀りされていると言い伝えられており、この時期は西法寺が堀坂へ引遷してきた同じ頃です。
 お地蔵様は広大無辺な宇宙を浄化する無限の徳相で、無信心の人でも罪多き人でも、一心にお地蔵さんに念じればその罪を浄化し、病苦も災難も全て救済してくださると伝えられています。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

堂明様(堀坂地区)の続きを読む

瀧尾山 西法寺

tera13.jpg

瀧尾山 西法寺(2011.7.10取材)
 この寺は天台宗(伝教大師・最澄)瀧尾山西法寺といい、天台宗総本山比叡山延暦寺の末寺です。昔は妙原の大谷山にありましたが、山津波にあって寺が壊れたため、寛文11年(1671年)に堀坂へ移したもので、ご本尊は不動明王です。
 お不動さんは右手に剣を左手に綱を持ち、左目を閉じ口を斜めに噛みしめ、しかめた顔をして体の色は青黒く、火炎を背中に負って険しい岩場に立っています。
 大日如来の命令を受けて、人の心に住む悪魔を退治するといわれています。恐ろしい姿でですが、本当は心のさしい仏様で、心がよくない方向に向かっていると正しい方向へ戻してくださるといわれています。
 この本堂は文政8年(1825年)に建てられたもので、本堂が無事に完成することを願って参道口に六体地蔵が寄付建立されました。また平成14年4月に内仏殿と庫裏を改築し内仏殿には阿弥陀如来を中心に、伝教大師最澄、檀信徒のご先祖を祀っています。
 この寺は、加茂郷88ヶ所霊場第54番札所です。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

瀧尾山 西法寺の続きを読む

本谷山 神宮寺(観音様)

dou1.jpg

本谷山 神宮寺(観音様)御堂(2011.7月9日、7月17日取材)
 神宮寺(観音様)は元禄7年(1694年)掘坂と妙原の人々の浄財により建てられた十一面観世音菩薩が祀ってあります。今でも毎年7月16日の夕方から18日の夕方まで、人々が替わり合って昼夜鉦(かね)をたたき念仏を唱え、いろいろな災難や病気に罹らないように、一心に祈る習慣が続いています。
 御堂の正面の壁(漆喰)には、鏝絵(こてえ)と言われる珍しい絵が鏝で描かれています。また御堂のなかには百万遍の念仏を唱えるのに使った数珠があります。
 観音様を“南無観世音菩薩”と唱えると、火難、賊難、雷難、蝮難、薬難、病難、不慮の事故などからのがれると、お釈迦様が説かれた観音経の中にあります。
  十一面観世音菩薩は頭の前に三つの優しい顔、左に三つの怒った顔、右に牙を出してほめている顔三つ、そして真後ろは大笑いしている顔一つ、正面を向いている顔一つ、これは同行二人を表しており、観音様の顔を入れて十二の顔となっています。
 ここは、加茂郷88ヶ所霊場第53番札所でもあります。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

 

本谷山 神宮寺(観音様)の続きを読む

堀坂神社

horisakaj.jpg

▲堀坂神社(2011.7.9取材)
 堀坂神社は老松山1047番地の山林の中に厳粛に建っています。神社の創立は承安3年(1173年)の頃、社号は天満大自在天神宮(天満宮)で、一般的には天神様をお祀りしているといわれています。ご祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)学問の神様菅原道真公の先祖神と、大国主命(おおくにぬしのみこと)縁結びの神を祀っています。社殿は本殿、弊殿(へいでん)、拝殿、社務所、神楽殿、神輿庫で神輿は2基です。社殿も再々火災にあいましたが、今の本殿は宝暦2年(1752年)堀坂村領主、常陸国土屋藩(茨城県土浦市)土屋能登守篤直が再建したものです。昭和57年に拝殿を中心に改築し、同時に神楽殿の屋根及び神輿庫も改修しました。 
 境内には荒神社、若宮神社、愛宕神社、松稲荷神社、祖霊社、外2社があります。
 歳旦祭 1月1日 祈念祭(春祭り) 3月25日 夏祓祭(夏祭り) 7月24日 秋例祭(秋祭り) 10月25日(近い日曜日) 新穀感謝祭 11月23日 除夜祭 12月31日(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

堀坂神社の続きを読む

いよいよ発売!「ホルモン女」映画上映会チケット

 「その町で完結できる映画はそうそうあるもんじゃない!」映画製作関係者の方が言っていた言葉に、この映画の価値を感じます。

   

 ホルモン女チラシ表.jpg

▲チラシ表(↑ぽちっ!)

ホルモン女チラシ裏.jpg

▲チラシ裏(↑ぽちっ!) 

沖縄映画祭」に出展する「ホルモン女」の記者会見場にて

【特に印象的だったのは?】
山下リオさん:
クライマックスシーンで、おもてなし料理を決めてもらうシーンです。撮影するとき地元の人が200人位盛り上げてくださって迫力のあるシーンになっていると思います。とにかくご覧になっていただけば、迫力ある映画になっています。

河本準一さん:リオちゃんとのシーンは上司と部下なのでほぼ一緒にいるシーンが多いのですが、僕の顔を見て爆笑するんです。失礼だとおもません?少しのギャグでずっと笑ってくれるのが嬉しくて。
審査員を目の前にして感想をもらうのですが、審査員の一番右端の人が映画の撮影じゃないところで「まずっ!」といったセリフが何よりめっちゃうまくて「まずっ!」と言ったのがずっと残っていました。
地元の人がお弁当を提供してくださったり、本当にアットホームでみんなで作っている映画だった。

遠藤光貴監督津山に関わらしていただいて、居酒屋カルチャーで知らない干し肉とかあり、東京でも流行るんじゃないかと思います。
山下リオさん:第二の地元にしたいくらい大好きになりました。こんな素敵なところがあるんだと多くの人に見てもらえるのが嬉しいです。

河本準一さん:全国の市でまだまだ知られていない素敵な町がいっぱいあるけれど、その中で津山がこれを皮切りに全国へ発信できたらなぁ~と思います。元気よくパワーが与えられる映画になればいいなぁ~と思います。

 同時上映

[第3回沖縄国際映画祭出品

作品]津山市姉妹都市:沖縄

県宮古島市作品 一粒の種

~真太陽の島の大合唱~

100×178hashino.jpg 100mie.jpg
   「橋野食堂」撮影風景 「三枝」焼き方の練習風景
100mizushima1.jpg  100shiyakusyo.jpg 100yoshiigawa.jpg
 「水島食堂」撮影風景  「津山市役所」撮影風景  「吉井川河川敷」撮影風景
100fukushi.jpg 100kakuzan.jpg  100takakura.jpg
 「総合福祉会館」撮影風景  「鶴山公園」撮影風景  「高倉」撮影風景

 

いよいよ発売!「ホルモン女」映画上映会チケットの続きを読む

荒神山城跡(市指定史跡)

shimanami1.jpg
▲荒神山城跡(2011.5.14)手前はやまなみ街道です。(荒神山123番地の1)

荒神山城跡は、元亀(げんき)元年(1570)に宇喜多氏の武将花房職秀が築城し、わずか24年後の文禄3年(1594)には廃城となった短命な山城です。
 本丸を中心とした曲輪の配置は、連郭式と輪郭式の複合したものであり、枡形虎口の存在、瓦葺き建物の存在を示す大漁の瓦、大規模な井戸跡、本丸周辺に認められる石垣など、中世から近世への過渡期のいわゆる職豊系城郭の特徴を顕著に示しています。

荒神山城跡(市指定史跡)の続きを読む