4月19日の黒木キャンプ場のさくら
▲とっても綺麗です。今満開のさくらもあれば、まだつぼみの桜もあります。4月末頃までさくらが見られるそうです。(2010.4.19)
▲とっても綺麗です。今満開のさくらもあれば、まだつぼみの桜もあります。4月末頃までさくらが見られるそうです。(2010.4.19)
▲2010.4.3日の津山城(鶴山公園)の様子。昨年の様子はこちら
▲皆さんの記念撮影のお手伝い。「吉野のさくらに見劣りはせんわぁ~」とのことでした。ほんとにそう思えました。(2010.4.14)。昨年の様子はこちらから
高野駅
津山を中心とした鉄道は、岡山津山間の鉄道が一番早く開通しました。当初は、中国鉄道と呼ばれており、開通は明治31年でした。
中国鉄道は美作と備前を結ぶ主要路線でした。中国鉄道の開通によって一番影響を受けたのは吉井川の高瀬舟でした。最盛期は150艘以上の高瀬舟が通行しておりましたが、次第に数が少なくなり大正年間には全く姿がなくなりました。
津山から新見方面に行く鉄道は、西美鉄道といわれ民間資本で工事にかかりましたが、資金難で工事は進みませんでした。
開通は大正の初めです。この鉄道建設には落合町出身の代議士福井三郎氏の尽力が多かったと言われております。
▲津山の郊外に千年寺がある。名を長継山千年寺といい、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されていました。現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。 (庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)
さくら満開ぐるっと津山城(鶴山公園)
津山のシンボルと言えば津山城(鶴山公園)です。津山の人なら誰でも誇りにしている城跡です。
その反面、あるのが当たり前に思っていて、地元に暮らしていても歴史などあまり知りません。
ましてや、ぐるりと見渡すこともありませんでした。そこで、今回は東西南北巡ってみました。(2010.4.5)