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元禄の道標(鏡野町)

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 百谷浜子の和仁君男氏宅横に、この道標がある。
 往時この地点は交通の分岐点で、川を渡って東へ行く道は、真経を経て、越畑の鉄山へ通じ、真直ぐ北へ行く道は、奥津を経て、伯耆国倉吉へ通じていた。倉吉への道は、作州一円より農業の神美保神社へ詣った所謂(いわゆる)関詣りの道でもあった。
 この道標は、地上高90㎝、幅18㎝の方柱で、正面は草書、裏面は楷書で刻んである。
 正面(南側)―南「是より左伯耆くらよし道」
 裏面(北側)―北「元禄二年己巳年三月日」
 元禄2年(1684)当時作州を領した森家の二代長継公は、交通の要地にこの道標と同規格の道標を設置した。
 元禄の道標で現存しているものは、大原町古町の津山道の道標、作東町杉坂越えの道標及び、久米郡中央町打穴中清水の道標など数基にすぎない。
 元禄2年の道標は、方柱の上端が山形にとがらせてあるのが一般的であるが、浜子のものは上端が平である。これは、もともととがっていたものを後に何かの都合で、平に加工したものと思われる。
(文:『香北ふるさとの伝承』より)(2021年11月3日撮影)

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