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津山の私設美術館・その他のおススメ(お寺・博物館・資料館)

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美術の秋を迎えましたが、津山にはまだまだ素晴らしい美術があるのを私たちは案外知らないのかもしれませんね。一般に公開されているものは数少ないのですが、私設美術館など今まで取材したものを少しまとめておりますのでご覧くださいね。それから、資料館・近隣の美術館なども併せてご紹介。(営業日時や場所は各HPなどでご確認ください。)

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曹洞宗 澤龍山 少林寺

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曹洞宗  圓通閣 澤龍山少林寺(美作三十三観音十一番札所)(2011.5.4)

開創 1525年(大永5年)
本寺 久米郡美咲町 夢中山幻住寺
開山 大網愚溪大和尚(幻住寺6世)
当山は、小森山圓福寺(中北上1319番地)と称していたが、後醍醐天皇が隠岐島を脱出、船上山の名和長年に身を寄せられた1333年頃兵火によって焼失。
その後180年程そのままになっていたが、1516(永正13)年11月に幻住寺六世大網愚溪大和尚が、当時の岩谷城主大河原弾正の懇請を容れて、後に少林寺末寺となる観音寺となった地(中北上1161番地)に小庵を建立し、山号を山形臥龍に似たるを以て澤龍山とし、1525(大永5)年に「澤龍山小林庵」と称し開堂。
1597(慶長2)年、大河原弾正の三男智麟首座小林修理の修繕を得て、庵から寺に改称「小林寺」とした。
1767(明和4)年頃の中北上村は、相州小田原の大久保藩の領地で西川(現在の美咲町)代官所を設けて領内を支配していた。当山七世物外璿山大和尚が、その西川代官高橋文右衛門の賛助に依り、50余ヶ村民の出役を得て現地に移転し寺名を小から少に改め「少林寺」とした。
本堂・開山堂は、1993(平成5)年再建。本堂内には当山に金龍銀龍が舞う幅3・3mの見事な壁画が一対あり、津山市・山形弘画伯の作品である。
本尊「十一面観世音菩薩」は、岩谷城を築城した山名教清寄進の岩谷山慈悲門寺の本尊であったが、当時(戦国時代)の情勢により開基・大河原彈正が少林寺に移したものと伝えられる。【資料提供:曹洞宗  圓通閣 澤龍山少林寺】

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青木山 寂静院 聖徳寺 (小田中)

聖徳寺

青木山 寂静院 聖徳寺の開基

 当山は、和銅7年(714年)6 月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田 中に移しました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により 願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊として安置 した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。(情報提供:聖徳寺)

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山形弘記念館

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▲山形弘記念館全景(2010年5月28日取材)
【故 山形弘(雅号:笠松道人=かさまつどうじん)さんPROFILE】
1927年津山市生まれ 55年光風会入選以後出品 67年日展入選以後出品 76年妙法寺本堂壁画制作 77年県展山陽新聞社大賞受賞 83年日展光風会退会 パリ国際展出品優秀賞受賞、円通寺障壁画制作、賜紺緩褒章 84年上野森美術館賞受賞、国美展審査員就任 85年ロンドンロイヤル美術館大賞受賞、聖徳寺天井画障壁画制作 86年国際アカデミー賞受賞 87年津山カトリック教会大壁画制作、日本版画賞受賞 88年サロン・ド・パリ委員 89年大阪三越個展、ニューヨーク版画展招待 鏡野病院壁画制作 90年岡山高島屋にて個展 91年久米小林寺本堂壁画制作 山形弘記念館完成 津山警察署壁画制作 92年久米小林寺本堂壁画制作 93年津山振興局壁画制作 94~96年県展審査員 96年 津山市名誉市民肖像画12名揮毫 津山市依頼 97年国美藝術展文部大臣賞受賞 1月没 98年画集出版(気韻生動)遺作展 津山高島屋 99年笠松道人(水彩画)遺作展 2Fくらやアートホール
賜紺綬褒章 4回受章。津山市文化功労賞受賞。海外研修15回 個展 東京・大阪・岡山・津山 20回 国際美術協会理事 国美展審査員 サロン・ド・パリ委員を務めた。平成9年1月11日没

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