青木山 寂静院 聖徳寺 (小田中)
青木山 寂静院 聖徳寺の開基
当山は、和銅7年(714年)6 月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田 中に移しました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により 願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊として安置 した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。(情報提供:聖徳寺)
2009.9.19・20 | ||||
▲お地蔵 和霊大明神の功徳と由来 当寺の鎮守、和霊大明神は厄除け の神として、また願い事は必ずかなえてくれると 言う津山地方で名高い神様で、祭神は山家清兵衛公頼公(やんべ せいべいきよ もりこう)といい、四国は 伊予の宇和 島藩の家老で、仙台藩主・伊達政宗の子、秀 宗に仕えた人。公は藩主を助け藩政上に手腕をふるい、大いに治績と名声あげま したが、その反面これを怨みに 思う者が出てきて、謀略にあい殺された。時に元 和6年夏清兵衛25歳でありました。 この時、公は死ぬ間際に、「われに救いを求め る者には、われ必ず、その願いを聞かん」と言い残して、息を引き取ったという。 ▲七福神のお一人寿老人 宗 派/高野山 真言宗 岡山県津山市小田中1416 |
▲門 ▲客殿 ▲本堂 ▲鐘楼 ▲本堂 ▲弘法大師様 ▲故山形弘画伯 が描いた襖絵左 |
▲山門 ▲本堂 ▲和霊大明神 ▲寿老人 ▲浄水 ▲故山形弘画伯 が描いた本堂裏の絵 ▲故山形弘画伯 が描いた襖絵右 |
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▲故山形弘画伯 が描いた天井絵 |