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取材記事内を検索ワード「津山城」で検索した結果,556件の記事が見つかりました。

雨の中のキャンドルナイト!「夢灯り~いいね!みんなのまち~」

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2014年9月6日「夢灯り~いいね!みんなのまち~」が津山城三の丸にて開催されました。
 最初ザーザー降りの雨の中でしたので、これで開催できるの?と思いましたが、雨も徐々に止んで良い感じになりました。1,600個のキャンドルナイトとまた、鶴山館に投影された、リアプロジェクションムビーにより、キャンドルナイトの趣旨と津山の歴史が投影された映像も津山の歴史が良くわかりよかったです。

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兼田の大きな道標と交通の近代化(津山市国分寺)

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兼田の大きな道標と交通の近代化(明治末~)2014年6月29日取材

 津山の最初の鉄製の橋、昭和5年にできた。旧出雲街道の川崎と河辺を結んで加茂川にかけられたこの橋は長さ90.5m、幅5.35m、現在は約70m下流に因美線の跨線橋を兼ねた国道53号線の新兼田橋ができている。

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瀧神社(勝田郡奈義町)

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瀧神社沿革(取材2014.7.27)
一、由緒
 今から約千三百年前の白凰年間 藤原鎌足の孫 武智麿呂が中国地方平定のため御神託を受け紀州熊野権現を勧請し社殿を建てたと伝えられ 爾来北野村東西と近藤村の氏神として崇められてきた
 近世美作の国津山城の鬼門の守護神として森公の信仰厚く鳥居や石の宝殿が寄進されている
 明治の末頃までは「お瀧参り」とよばれ 作州全域から多くの参拝者があり 旧八月十五日の例祭には 日本原から続く松並木の参道は人の列でにぎわい 売店 見世物が並んだ
 大正十二年郷社の格が与えられ また三十三年毎の御開帳祭は今に伝えられている

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別格本山 大聖寺(あじさい寺)(美作市大聖寺)

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〔大聖寺の概略〕 山号を恵龍山と称し、今をさかのぼる1260余年前、天平10年(738年)、聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩により開山、爾来、山岳仏教の聖地として五院(不動院、中院、奥の院など)十八坊舎(松の坊、池の坊、上の坊、地蔵坊など)の塔堂伽藍(とうどうがらん)を誇り真言密教(宗祖、空海)の根本道場として信仰をあつめ西の高野山と称されました。

 しかし天正年間(1578年頃)の戦火で塔堂を消失、現在の本堂不動院、本坊客殿などは、津山城主、森忠政公(森蘭丸の弟)により慶長9年(1604年)に城主祈願所として再建されました。

 また、当山は、歴代貫主(住職)が、京都蓮浄院(京都御室御所、塔中寺院)院主職をつとめ御所直轄寺院として高禄受祚の寺格を有しました。(文:別格本山 大聖寺案内より)(2014年6月24日取材)

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津山藩主松平家伝来の「兜」

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享和3年(1803)  銘「享和三年二月日」  「明珎宗尚」  津山藩主松平家伝来  個人蔵


津山郷土博物館の3階に展示してあるこの兜ですが、見れば見るほど豪華な飾りです。この正面に飾られてあるのは龍?鯱のようでもあり、何の象徴なんでしょう?また、両耳のところには葵の紋が今でも黄金に輝いています。一見の価値あり。(2014.7.31取材)

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長法寺の紫陽花を見てきました。

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2014年7月1日(火)あじさい寺【長法寺】に行って来ました。

阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子があります。2009年の紫陽花の様子はこちらから名木百選 長法寺のイチョウ

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【津山人】赤坂 健太郎さん

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赤坂さんは、津山市出身で現在は、岡山市に在住されています。只今は、津山市観光ボランティア「お国自慢」のメンバーで大活躍しておられます。そんな赤坂さんにお話を伺いました。「津山といえば、歴史と文化と古い町、津山城がとても印象的な街だと思います。また、津山の魅力を写真で伝え、津山のPRに繋げてゆきたいと思っています。不思議、謎を見つけて皆さんに再発見してもらえたら楽しいかも?将来の夢は、写真を通して子ども達へ文化・歴史の継承をすること。」と明るい笑顔で語って下さいました。

また、瓜生原には生家があり、その一角に趣味で集めたものを展示しておられるそうです。

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茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)(津山市河辺)

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⑧茅野家屋敷跡(かんべえ屋敷跡)
 赤穂浪士として活躍した、茅野和助常成の父・兄・子孫の屋敷跡。
 茅野氏は、元津山城主森家に仕えた人で、浪人として此の地に移り住みました。
和助常成は、播州赤穂城主浅野家に仕え復讐の義挙に加わった。文武両道に通じ、風流の道にも親しんだ人格者であったと言われています。
 今は石碑の場所が僅かに残っているだけですが、以前はとても大きな屋敷だったそうです。

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2014年4月18日の文化センター横のさくら

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2014年4月18日。津山文化センター横(鶴山公園入口)付近のさくらが満開でした。

いつもは、さくらまつりが終わると、津山城(鶴山公園)のさくらは終わったと思われがちですが、ここのさくらは遅咲きで、種類も5種類くらいありますので4月中ごろには散歩がてらにお出かけください。


津山文化センターは、いろいろな建築雑誌,This is JapanやWEBでも「国宝級」などと紹介されているくらい有名です。過去の津山文化センター取材)

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2014年4月6日の津山城(鶴山公園)のさくら

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2014年4月6日の津山城(鶴山公園)のさくらの様子です。

この日は日曜日でもあり、大勢の方が盛りだくさんのイベントやご当地グルメを求めてお出でになっておりました。勿論、お目当ては1000本のさくらがメインです。

(津山さくらまつりのイベントとして美作のご当地グルメと観光展(津山城「鶴山公園」)が 2014年4月5日(土)・6日(日)、4月12日(土)・13日(日)と開催されました。)

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