取材記事内検索

取材記事内をタグ「荒神様」で検索した結果,12件の記事が見つかりました。

山田組の荒神様(津山市野介代)

koujin6.jpg

○荒神信仰の盛んな作州
 民俗学者直江広治氏の研究によると、荒神信仰は全国的に盛んであるが、屋敷神・株内の同族神・部落神・産土神に関わる屋敷外の地荒神は、東は千葉県、西は宮崎県の範囲までであり、その中心は中国地方でとくに岡山県と島根県が最も盛んな地域とされています。岡山県下では、県南より北部の方が盛んであり、江戸時代に修験者の活躍が盛んであった作州こそ、まさに荒神信仰の本場ではないかと考えられます。
 江戸時代、作州で一番多い宮は荒神様であったといわれています。当美作町では、どれほどあったのでしょうか。幸いにして江戸時代半ばの天明4年(1784年)岩見田の百姓赤堀氏の手になる「奉勧請国中惣神宮」の貴重な記録があります。それを整理してみると、荒神様は町行域の42大字(旧村)で合計して129という多きに達しているのであります。(文:作州民間信仰代表 荒神様とそのお祀り 宮澤靖彦) (2014年4月12日取材)

山田組の荒神様(津山市野介代)の続きを読む

八神三宝荒神社(津山市河辺)

06.jpg

⑥八神三宝荒神社
 この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
 昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
 地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。

八神三宝荒神社(津山市河辺)の続きを読む