河井観音堂(加茂郷88カ所霊場14番札所)
津山市加茂町河井の河井観音堂(加茂郷88カ所霊場14番札所)を訪ねてきました。民家より100m程入った山の中にあるのですが、木元さんに案内して頂かないと中々わかるところではありませんでした。ここは、観世音菩薩がお祀りされています。また、鶏の鎮魂碑もあるそうです。
(先達:木元林造さん)(2022年10月4日撮影)
津山市加茂町河井の河井観音堂(加茂郷88カ所霊場14番札所)を訪ねてきました。民家より100m程入った山の中にあるのですが、木元さんに案内して頂かないと中々わかるところではありませんでした。ここは、観世音菩薩がお祀りされています。また、鶏の鎮魂碑もあるそうです。
(先達:木元林造さん)(2022年10月4日撮影)
西知和大師堂は、加茂町知和西知和にあり、内田さん宅の裏側の線路を渡った所にあります。ここは、内田さん宅の宅地内を通らせていただかなくてはならないので、木元さんがお手配くださいました。線路を渡らないといけない場所なので少し緊張しました。お祀りしてあるのは毘沙門天です。
この日は、運よく内田さんが居られて案内していただき無事にお詣りすることが出来ました。(先達は木元林造さん)(2022年10月4日撮影)
青柳東薬師堂は、加茂町青柳東の民家の裏にあり、分かりにくい場所でした。本尊は薬師如来です。
土壁で比較的新しく立派なお堂です。由緒はわかりません。
(先達木元林造さん)(2022年10月4日撮影)
加茂町青柳定本にある、加茂郷88カ所霊場9番札所の定本地蔵堂です。
この地区は平らな田んぼが広がり白金山が良く見渡せるところです。この地蔵堂は青柳中心部の保育園跡のメイン道路より少し高い所にある裏道路脇にあります。本尊は地蔵菩薩です。詳しい由緒はわかりません。(先達は木元林造さん)(2022年10月4日撮影)
加茂町青柳西ノ谷の民家横にあるお堂です。少し高台で白金山が良く見渡せる場所です。本尊は阿弥陀如来です。お堂の軒先にはいくつものお札が下がっていて、その昔には随分とお参りに来られる方がいたんだろうと思いをはせながらお詣りさせていただきました。(先達木元林造さん)(2022年10月4日撮影)
津山市加茂町知和小原上にあり、本尊は薬師如来だそうです。千磐神社の前の県道(津山智頭八東線)と旧道の間の狭い道沿いの民家の隣で、土壁、トタン葺の加茂郷88カ所霊場第33番札所です。
加茂にお住いの木元林造さんに案内して頂かないと分かりませんでした。(2022年10月4日取材)
和泉山金龍寺由緒(加茂町百々)
人皇五十一代平城天皇御宇大同二年(807)丁亥ノ秋八月、大和国延鎭上人ノ開基ナリ。
此ノ山、泉涌故トテ泉山ト云フ。後、和泉山金龍寺ト云フ。
数年ヲ経テ大寺タリシガ、七十三代堀川院御宇承應元年(1652)五月、淋雨降リ続キ山崩本堂土中二埋レ百二十余年間葏閉タル野山トナル。
八十四代順徳院御宇宝永元年(1704)七月十八日、尊像現出シ玉ヒ再興在リテ紀洲高野山理姓院末流タリシガ、宝暦八年(1758)戌寅四月祝禍ニテ消失ス。
明和二年(1765)酉年三月再建。再建後高野山理姓院ノ旧縁ニテ行重村真福寺末寺トナル。
昭和63年3月 百々部落 加茂町観光協会(文:現地案内板より)(2022年11月9日撮影)
景光寺
当寺は山下にあって、毎見山景光寺と号し真言宗醍醐寺三宝院の末寺であり、本尊は不動明王である。嘉永元年(1848)に安楽院法師が開基し、当時は物見にあった。明治18年現在地に移転した。昭和2年には、無住寺となっている。(『苫田郡誌』)(文:『加茂町史本編』より転載)(2022年10月4日撮影)(先達:木元林造さん)
公郷大砂(おおさこ)の大砂講組13軒は、7月24日と8月24日の年2回、地蔵様を祭る。
祭の日は、昼食後、各戸から地蔵堂に集まって念仏鐘をたたき、「南無阿弥陀仏」を合唱し、線香をたく。夕方まで念仏がつづく。念仏が済むと、昔は精進料理で、各戸から集めた金で酒を買ってきて飲んだ。子どもたちには「バゼ炒り」を特別に作ってきて配る家もあった。現在は「せんべい」を配っている。この講は伝染病、厄払い、その他病気除けを祈願するものであり、昔は法福寺住職を招いて先導してもらって唱和したが、現在は講組の長老がやっている(芦田薫談)(文:『加茂町史本編』より転載)(2022年10月20日撮影)
棚田阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第62番札所)津山市加茂町中原棚田
現在の建立場所は、加茂の原田さんの土地に建っていて「いまいち大師堂」と呼ばれているそうです。
本尊は阿弥陀如来 高田理髪店の裏10m(2021年6月11日撮影)