2014年3月30日の東一宮の桜並木
小雨の中でしたが、綺麗に咲いてた宮川沿いの桜並木(2014年3月30日)
小雨の中でしたが、綺麗に咲いてた宮川沿いの桜並木(2014年3月30日)
~二世市川亀治郎(現・四世市川猿之助)と十五世片岡仁左衛門・・・歌舞伎名場面展~
〇会期:2月1日(土)~3月30日(日) [入館料:500円(2F棟方志功常設展もOK) ]
今回は、M&Y記念館がコレクションしている立原位貫作品の中から、 当代の人気歌舞伎役者2人(市川亀治郎(現・市川猿之助と片岡仁左衛門)を彫った作品が展示されています。 浮世絵の伝統を今に受け継ぐ立原位貫氏が作り上げた現代の歌舞伎役者絵を楽しんでいただける作品展です。
『服部定山 遺作展』(2012年12月18日取材)
〇会期:12月15日(日)~1月19日(日)入館料:無料(2F常設展は500円)
年末年始は12/28(土)~1/4(土)まで休館となります。
本年4月に亡くなられた成道寺前住職・服部定山氏の「書」、「陶芸」約200点を一堂に展示いたします。服部定山氏は若い頃から趣味として陶芸や書、篆刻などに親しみ、特に陶芸は、津山市老人会陶芸教室の講師も勤めました。
2013年9月14日(土)~10月27日(日)まで、鏡野町生まれの彫刻家・桜井敏生さん (72歳)、津山生まれでパリ在住の画家・桜井由子さん(42歳)。石彫と油彩というまったく違った素材による二人の初の親子展が棟方志功・柳井道弘記念館 (M&Y記念館)にて行われています。(10月27日(日)迄開催)
津山郷土博物館や山田養蜂場等にも作品がある鏡野町生まれの彫刻家・桜井敏生 (72歳)。津山生まれでパリ在住の画家・桜井由子(42歳)。
石彫と油彩というまったく違った素材による二人の初の親子展です。
彫刻は屋外展示もおこないます。
また、9/21(土)には作家によるアーティストトークも予定。ご期待ください。
『牧野俊介が見たヒロシマ』 ○会期:8月3日(土)~9月1日(日)(西大寺鉄道展と一緒にご覧いただけます。)
牧野俊介さんは、原爆が落ちた翌日(昭和20年8月7日)広島に行き、8月10まで被爆者の救護をしています。また、その時に自身も被爆をしています。
2002年3月、牧野さんは当時の広島の様子を毎日、鉛筆画で描き残しました。
その絵は、広島市やNHKが募集した「市民が描いた原爆の絵」に応募されました。
当時86歳の牧野さんが、その苦しく悲惨な記憶を絵にして後世に伝えたようとした「ヒロシマ」の惨状。 今回は、津山市の林小児科に残っていた18枚の「広島の絵」の複製画を『牧野俊介と西大寺鉄道』展とともにご紹介いたします。
第3期(8月3日(土)~9月1日(日))
『走れ!西大寺鉄道(写真展)、全国の軽便鉄道(鉛筆画展)』
自転車にも追い抜かれたという西大寺鉄道。最後は颯爽と走るその勇姿を、数多くの素晴らしい写真でお楽しみいただきます。
牧野さんの鉛筆画は、岡山から全国の鉄道を撮影して回った牧野さんの足跡を、日本各地の軽便鉄道の作品で紹介します。
協力:両備ホールディングス、NPO法人名古屋レール・アーカイブス、藤山侃司氏。
『牧野俊介と西大寺鉄道』展(5/18~9/1まで)
○会期:5月18日~9月1日 (第1期=5/18~6/30、第2期=7/2~7/31、第3期=8/3~9/1)
○入館料:500円(2F常設展もご覧いただけます。)
津山では鉛筆画や油絵画家、また「アメリカ屋ラジオ商会」主人として有名だった牧野俊介氏。しかし、彼が、戦前から鉄道写真の世界でも全国鉄道ファンに名を轟かせていたことは、地元津山ではあまり知られていません。
毎年、津山で一番に咲くさくらがここ東一宮の宮川の川沿いに立っているさくら並木です。毎年楽しみに通るのですが、今年はやけに寒くて天候もすかっとしない日々が続いていましたね。(2013年4月3日)
津山市一宮の本光寺参道の前の小路を上がってゆくと美土路昌一氏の墓があり、横には碑が建っている。右上には「言論自由の語は之を守る為め死を辞せざる者のみ言い得る言葉なり」とあり、下方には「この夏は越せそうも無き米寿かな」とある。後者は死の三日前の絶筆である。
↑2015年12月7日現在は先祖代々の墓地で静かに眠っておられます。
(美土路昌一氏は明治19年7月16日中山神社の社家の一軒で生まれた。)
美土路家(現津山高校100周年記念館)の前の津高の門を入ってすぐ、よく伸びた二本の松がある。これは、はじめて空を飛んだライト兄弟の飛行場の松の種をもらって、母校の庭に寄付して植えたもの。
よく言っていた言葉「一歩退って人に接せよ」、「何ごとも、まず相手のことを考えよ」、「水流先を争わず」(文:津山市文化協会「津山の人物」より)
「現在窮乏、将来有望」これは津山市出身で市の名誉市民 美土(みど)路(ろ) 昌一(ますいち)氏が全日本空輸(ANA)の前身である「日本ヘリコプター輸送株式会社」創立時に掲げたスローガンです。
1886年(明治19年)、苫田郡一宮村(現:津山市一宮)で生まれた美土路 昌一氏は、旧制津山中学を卒業後、文学を志し早稲田大学文学に入学されました。苦学の中、文学の道を断念され大学を中退後、朝日新聞社に入社されました。
入社後は第一次世界大戦(青島戦)に従軍されたほか、上海、ニューヨーク特派員を経た後、編集局長として神風号による東京‐ロンドン間の記録飛行を成功に導くなどの活躍をされました。
その後、日本は戦火の渦に突入しますが、戦中、編集局長、常務取締役と朝日新聞社の要職にあった美土路氏は言論の弾圧にさらされます。