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取材記事内を検索ワード「元禄道標」で検索した結果,3件の記事が見つかりました。

【津山人】郷土史家 橋本惣司さん

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 私は20年くらい前から橋本さんが講師を務める歴史講座に参加しています。
長年子どもたちに教えてこられただけあって、歴史音痴の私でもすぐのみ込めるほど、とてもわかりやすく解説してくださいます。おかげさまで、今でも苦手の歴史に楽しく触れることができています。
 津山の歴史講座受講者はほとんどが年配者で若者がいないのを残念に思います。橋本さんのわかりやすいお話を聞きにひとりでも多くの方が参加されることを願っています。
 津山郷土博物館だよりNo.83で「橋本惣司さんの『古代美作道を検証する』は美作の古代官道研究に一石を投じる意欲的な論文です。橋本氏は市内在住の元学校教員で、熱心に郷土史を研究されている方です。おととしの美作国建国1300年記念事業として行われた陶棺復元プロジェクトにも関わっていただきました。」と紹介されているように郷土の歴史に造詣が深い方です。

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元禄の道標(鏡野町)

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 百谷浜子の和仁君男氏宅横に、この道標がある。
 往時この地点は交通の分岐点で、川を渡って東へ行く道は、真経を経て、越畑の鉄山へ通じ、真直ぐ北へ行く道は、奥津を経て、伯耆国倉吉へ通じていた。倉吉への道は、作州一円より農業の神美保神社へ詣った所謂(いわゆる)関詣りの道でもあった。
 この道標は、地上高90㎝、幅18㎝の方柱で、正面は草書、裏面は楷書で刻んである。
 正面(南側)―南「是より左伯耆くらよし道」
 裏面(北側)―北「元禄二年己巳年三月日」
 元禄2年(1684)当時作州を領した森家の二代長継公は、交通の要地にこの道標と同規格の道標を設置した。
 元禄の道標で現存しているものは、大原町古町の津山道の道標、作東町杉坂越えの道標及び、久米郡中央町打穴中清水の道標など数基にすぎない。
 元禄2年の道標は、方柱の上端が山形にとがらせてあるのが一般的であるが、浜子のものは上端が平である。これは、もともととがっていたものを後に何かの都合で、平に加工したものと思われる。
(文:『香北ふるさとの伝承』より)(2021年11月3日撮影)

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出雲街道を歩く(河辺から津山城下)

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第110回 文化財めぐり 特別展「行列を組む武士たち」関連事業として、出雲街道を歩く(河辺から津山城下)が、2016年10月29日(10時20分~)津山郷土博物館主催であり参加して来ました。津山藩主の参勤交代には出雲街道が使われています。今回は河辺から津山城下までの出雲街道を歩いてきました。
ルート 河辺バス停前→河辺上之町→兼田橋→川﨑→玉琳→東松原→古林田→荒神曲り・大曲り→宮川大橋→京橋門跡「文:津山郷土博物館作成の当日配付資料より抜粋」

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