【津山人】郷土史家 橋本惣司さん
私は20年くらい前から橋本さんが講師を務める歴史講座に参加しています。
長年子どもたちに教えてこられただけあって、歴史音痴の私でもすぐのみ込めるほど、とてもわかりやすく解説してくださいます。おかげさまで、今でも苦手の歴史に楽しく触れることができています。
津山の歴史講座受講者はほとんどが年配者で若者がいないのを残念に思います。橋本さんのわかりやすいお話を聞きにひとりでも多くの方が参加されることを願っています。
津山郷土博物館だよりNo.83で「橋本惣司さんの『古代美作道を検証する』は美作の古代官道研究に一石を投じる意欲的な論文です。橋本氏は市内在住の元学校教員で、熱心に郷土史を研究されている方です。おととしの美作国建国1300年記念事業として行われた陶棺復元プロジェクトにも関わっていただきました。」と紹介されているように郷土の歴史に造詣が深い方です。
杉坂峠関所跡(出雲街道) (出雲街道)
日上天王山古墳・日上畝山古墳群・植月寺山古墳 津山地域の史跡(美和山古墳群)
著書・論文などの一部
橋本さんにこれからの夢を伺うと、
「これほど高齢になって夢などありませんが、今まで集めた古代からの歴史に関する知識を次の世代に伝えておきたいという思いが募ってきています。いろいろな講演会や説明会に臆面もなく出かけて行くのもその表れですね。津山に限らず美作地域の歴史的事跡・遺跡・風景などを本にまとめてみたいとも思うのですが、まずは新聞や雑誌に論文や随筆などを掲載してもらうことを考えています。近いうちに誠道小学校の6年生に久米の歴史についての授業と久米資料館の見学を学校から要請されました。とっても嬉しく思っています。小さな活動が子どもたちにとって自分たちが住む地域の歴史を知り、郷土に誇りを持ってくれたら、これ以上の喜びはありません。今張り切って資料作りをしています。」と話しておられました。
近年には新見市の妻の実家で江戸時代の測量家、伊能忠敬を村人が手伝った様子を伝える資料を発見し話題になりました。また、最近の伊能忠敬研究に40ページの論文が載せてあるそうです。
伊能忠敬研究論文(文化八年備中国測量)伊能忠敬研究会会員
橋本惣司さんの略歴
昭和44年新見市立菅生中学校勤務 教諭
昭和45年岡山県教育委員会文化課・津山教育事務所兼務 文化財保護主事 発掘調査員
昭和53年岡山県立誕生寺養護学校勤務 教諭
昭和57年奥津町立奥津中学校勤務 教諭
平成元年久米町立久米中学校勤務 教諭
平成5年奈義町立奈義中学校勤務 教頭
平成7年久米町立久米中学校勤務 教頭
平成10年勝山町立勝山中学校勤務 校長
平成15年定年退職 勝山町教育委員会勤務 嘱託 三の丸遺跡発掘調査
平成17年真庭市教育委員会勤務 嘱託 平成18年退職
平成18年9月学校法人しらゆり幼稚園勤務 園長 平成21年退職
平成26年津山市立北陵中・中道中(27年)・久世中(28年)・中央中(29年)勤務非常勤講師
平成29年美作市文化財保護委員嘱託(~令和5年)
現在 津山東公民館・高野公民館・さら楽などで歴史講座、古文書講座を主宰
伊能忠敬研究会会員
――――著書・論文――――
昭和48年 『加茂町史』 分担執筆 加茂谷の夜明け
昭和48~53年 『岡山県埋蔵文化財発掘調査報告書』―中国自動車道建設に伴う発掘調査
津山市-押入飯綱神社古墳・押入西遺跡・天神原遺跡
久米町-宮尾遺跡 落合町-赤野遺跡・西原遺跡・下市瀬遺跡・須ノ内遺跡・宮ノ前遺跡
昭和50~53年久米カントリー発掘調査員
昭和54~55年『糘山遺跡群』3巻 村上幸雄・橋本惣司共著 久米カントリー発掘調査
『亀甲形陶棺の製作工程』考古学研究第26巻 同共著
昭和55~63年『みまさかの絵物語』シリーズ10冊 美作の歴史を知る会編 共同執筆
平成元年『土路江遺跡』奥津町教育委員会刊
平成15年『勝山町の文化財』勝山町教育委員会
平成16年『落合町史』分担執筆 狩猟採集の時代・大化の改新と律令制とその変化・山城と館
平成17年『奥津町史』分担執筆 地形地質・原始古代・土豪と武士・山城の歴史
平成17年「『高田城三の丸遺跡』勝山町教育委員会
平成18年『城下町勝山ぶらり散策』岡山文庫243
平成18年『岡山学「旭川を科学するパート2」分担執筆 旭川と勝山 岡山理科大学岡山学研究会
平成25年『山谷家文書を読む』勝山古文書の会
平成25年『古代美作道を検証する』「津山郷土博物館年報」
平成27~令和元年『元禄道標と津山元標』・『美作の道標と出雲往来一里塚』・『美作の因幡・備前往来をたどる』美作地区歴史研究協議会編
令和元年 『美作の大庄屋』美作の歴史を知る会
令和4年『中央町誌』資料編・通史編 分担執筆 近世の中央町・浜田藩