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秘史後南朝の里・高根を歩く「如意輪観音寺跡」

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秘史 後南朝の仙洞御所の地、高根について「如意輪観音寺跡」貞和3年の石造(宝塔)
 酒本武都主氏の親切な道案内により、その幻を求めて歩きました。翌日の令和3年6月4日地区に古い物が多くあることを知ったことにより、せめて石造物の文字だけでも正しく読んでみようと、独り調査に入った。この日私的には大変なものを確認できた。
 地元では先人達が、「高仁山長福寺境内 如意輪観音寺跡」と言われる場所には宝塔(仮)があり、それには(判読)「貞和三丁亥天〇〇(1347) 願主 万門」と彫られていることに気づいた。
 これは町内で重要文化財指定されている
  間 山  四角宝塔康永3年(1344)
  一本松  如意経塔延文6年(1361)
  東光寺  油地蔵 康暦2年(1380)県指定
 この中では二番目のものである。手水鉢には昔は髙仁であったとも奉納者が示していた。
 かつて秘史を語ってきた人達は以上のことを知っていたのでしょうか。詳しくは後日の調査を待つことにして地元区長へ中間報告することとした。参考文献:『博士 川勝政太郎著 石造美術入門・同 石造美術の旅』より(文:勝央町文化財保護委員会 委員長 赤木耕三)

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油地蔵(勝央町 壽福山 東光寺)

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油地蔵(岡山県指定重要文化財)
 字 石佛の土中より堀り出されたもので旧県道沿いに安座していたものを大正14年東光寺山門前に移したもの。花崗岩の上部を舟形におとし佛像を刻んでいる。右手には錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵の相で重厚の感じの像容である。
 左に「庚暦二庚申二月二十九日亥午後」(1380年)右脇に願主円佛敬白の銘がある。油をかけると如何なる難病にも御利益があると云われその為、油地蔵と呼ばれている。
 県内外からの参拝者も多い。昭和34年1月13日、県の重要文化財として指定される。

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油地蔵とお大師様(小原)

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油地蔵の由来(2015年12月7日撮影)
作陽誌は昔此の地にあった香華寺の貴跡としている石仏の長さを4尺7寸、おそらくは中世の室町期寺蔵信仰が最も盛んな頃の刻遺であろう。
惜しいことには年月日記載がない。もと路座でものを宝永5年藩主松平家の許しを得て茅葺の堂舎を建て後瓦葺きに改めた。
明治中期に大改修を施し今の台石を設けたものである。
作は巧妙とは言われないが六道能代十分遍歴の姿を表して民俗信仰の貴重な資料で、油をそそぐのは立顔また満顔に行う献灯供養の儀である。 
今、県指定の文化財なっている勝田郡勝央町車充寺の油寺蔵と並ぶ保存を要する文化財である。
(以上津山市教育委員会調査原文の写) 

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