秘史後南朝の里・高根を歩く「如意輪観音寺跡」

21-8-28-4.jpg

秘史 後南朝の仙洞御所の地、高根について「如意輪観音寺跡」貞和3年の石造(宝塔)
 酒本武都主氏の親切な道案内により、その幻を求めて歩きました。翌日の令和3年6月4日地区に古い物が多くあることを知ったことにより、せめて石造物の文字だけでも正しく読んでみようと、独り調査に入った。この日私的には大変なものを確認できた。
 地元では先人達が、「高仁山長福寺境内 如意輪観音寺跡」と言われる場所には宝塔(仮)があり、それには(判読)「貞和三丁亥天〇〇(1347) 願主 万門」と彫られていることに気づいた。
 これは町内で重要文化財指定されている
  間 山  四角宝塔康永3年(1344)
  一本松  如意経塔延文6年(1361)
  東光寺  油地蔵 康暦2年(1380)県指定
 この中では二番目のものである。手水鉢には昔は髙仁であったとも奉納者が示していた。
 かつて秘史を語ってきた人達は以上のことを知っていたのでしょうか。詳しくは後日の調査を待つことにして地元区長へ中間報告することとした。参考文献:『博士 川勝政太郎著 石造美術入門・同 石造美術の旅』より(文:勝央町文化財保護委員会 委員長 赤木耕三)

21-8-28-20.jpg21-8-28-19.jpg

前から何度かこの地域を訪問していましたが、詳しく知ることは出来なかったので赤木さんにお願いしたところ快く引き受けてくださいました。ありがたい。

21-8-28-18.jpg21-8-28-17.jpg

古道から少し入り、更に獣道となっている脇道を歩くとかつて「長福寺」の如意輪観音堂があったとされる場所に行きついた。

21-8-28-14.jpg21-8-28-15.jpg

すると最初に見えてきたものが、手水鉢で、髙仁中天保二年と彫られている。

21-8-28-13.jpg21-8-28-12.jpg

更に歩くと、ここが観音堂跡と説明する赤木さん

21-8-28-11.jpg21-8-28-9.jpg

塔内には、法華経巻物が入っているかも知れないそうです。

21-8-28-10.jpg21-8-28-7.jpg

宝塔                      笠部

houtou.jpg21-8-28-3.jpg

宝塔                      お釈迦様

21-8-28-2.jpg21-8-28-1.jpg

自然石に彫られた大日如来(牛神様)、や、渡来系のお顔の地蔵様、また、弘法大師像もある。
(2021年8月28日撮影)