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取材記事内を検索ワード「津山高等学校」で検索した結果,13件の記事が見つかりました。

ミニ企画展「庄野ヒカル展 -四季の花々、こども、風景、ファッション-」

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 庄野ヒカル(本名:松子)は明治40年(1907)に津山市田町に生まれ、津山高等女学校(現津山高等学校)、東京の女子美術学校日本画科(現女子美大)に進みました。卒業後は絵画の制作に励むとともに、ファッションデザインも手がけ、昭和36年(1961)に、第1回ピエール・カルダン賞を受賞しました。今回のミニ企画展では、日本画や油彩画、スケッチブックのスケッチ画などを展示します。多彩な表現方法で描かれた庄野ヒカルの世界をお楽しみください。(文:津山郷土博物館HPより)
会期6月18日(土)~7月31日(日)

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高倉小学校の記念碑

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高倉小学校の記念碑に見る高倉の学校教育
  高倉小学校の校門を入って北側の庭園に、「創立百周年記念碑」と「創立百十周年記念碑」が建っている。また、寄松池の土手から西に坂道を上った峠に、創立百周年記念事業として昭和51年(1976)10月に建立した「高倉小学校創立之地」の碑がある。
 創立百周年記念碑の題字は時の文部大臣奥野誠亮氏の書で、当時の高倉公民館長片山方雄氏の碑文が
刻まれている。碑文を補足しながら高倉の学校教育の歴史をひもとくこととする。
(2013年3月21日取材)(文:高倉の歴史と文化財より)

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武徳殿跡(現中山神社駐車場)

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「武徳殿跡」日露戦役の後、武徳の称揚民間に及び、武徳会津山支所のもとに各所に剣道場が設立されたが、西北部に新進の勢力を助長させるため、大正11年中山神社武徳殿の建設をみ、津山警察署の指導を得て一大進展をみるに至った。かくて勇士雲のようにでて小学校もまたこれに習い、地方の青年有志間においても諸武徳大会に、さらには昭和2年3月大日本武徳会岡山県大会(青年団体の部)優勝という輝かしい成果をおさめた。
昭和18年高田・田邑両村と連合して4ヶ村組合立青年学校を、昭和23年4月組合立津山高等学校中山分校、昭和29年7月に津山市に編入されるにおよび津山東高等学校となり、その後津山市沼の本校に併合され、今は中山神社の駐車場となっている。 (美作一宮の遺産を見つける会発行:美作一宮 郷土の遺産より抜粋)

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棚田暁山筆「伊能忠敬」 津山にやってきた伊能忠敬

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棚田暁山筆「伊能忠敬」㊤ー津山にやってきた伊能忠敬ー
 明治11年、西北条郡津山町元魚町(現津山市元魚町)に生まれた歴史画家・棚田暁山(たなだ ぎょうざん)は本名を梅吉といった。元魚町にあったという生家の場所や何を営んでいたこということは不明。少年期より古画や有職故実への関心が高く、上京して模写修復の技能を学んだ。
 この過程にあって当時歴史画の大家であった小堀鞍音の知遇を得て明治33年に入門。以後主に土佐派の大和絵の画風を学びつつ、鞍音の助手として古美術品の収集などにあたった。同門には安田靫彦らがいたが研鑚を重ねて各種の共進会などに出品、入選や褒章(ほうしょう)を受けた。
 昭和14年には号を暁山から真楯に改めた。戦時中、津山に疎開していて作品を残したがそれらには、この真楯という号がかかれている。師ゆずりの綿密な歴史考証にもとづいて緻密で迫真に富んだ歴史画を書いているが、先般、笠岡の竹喬美術館で開かれた「岡山の近代日本画展」には代表作の一つ「伊能忠敬」が出品されていた。(文: 竹内佑宜)(画:岡山県立津山高等学校蔵)

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岡山県立津山高等学校(岡山県立津山高等女学校)の今昔

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消えゆく山下校舎 1962(昭和37)年  ≪岡山県立津山高等女学校、岡山県立津山女子高等学校、岡山県立津山成美高等学校、山下校舎≫

 1903(明治36)年の女学校開校以来、戦後の女子高等学校山下校舎と、美作の女子中等教育に大きく貢献したこれらの建物は、椿高下新校舎の完成を以て幕を閉じることとなった。
(資料提供:岡山県立津山高等学校)

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つやまギャラリー「郷土の画人たち」展

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つやまギャラリー「郷土の画人たち」展が2013年11月1日(金)~11月7日(木)津山市立久米図書館 展示ギャラリー(久米図書館2階)で開催されました。

 赤松麟作、内田鶴雲、河井達海、庄野ヒカルさんが津山で育っています。今回のつやまギャラリーは、津山郷土博物館の所蔵品からこれらの画人たちの作品を紹介。(主催:津山市教育委員会生涯学習部文化課説明文より)取材:2013年11月9日

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津山高校創立100周年記念館

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予てから河原先生にお願いしていた「津山高校創立100周年記念館」を取材させていただいた。とても立派な建物ですが、敷地は嘗ては美土路邸(美土路昌一<元朝日新聞・全日空社長、津中5期>)だったそうです。今は生徒集会や講演会、発表会、部活動、同窓会の会議などに使用しているのだそうです。(2012.7.30)
津山高校創立100周年記念館の建設
 記念館の建設は、津山高校100周年記念事業の中心で、開校後の最大事業となった。
記念館の建設地
 100周年記念館は当初、津中30周年記念館と旧格闘技場の跡地に建設する計画でしたが、最終的には岡山県が、1994(平成6)年12月6日に本校向かいの敷地を買収し、建設用地とした。同12月26日には敷地内の旧美土路邸が岡山県に寄贈され、再利用する構想だったが、老朽化のため撤去された。
記念館建設へ
 建設費は、100周年記念事業に寄せられた同窓会員の募金によった。
1996(平成8)年3月25日、津山高等学校創立100周年記念館が着工され、同年8月31日に竣工9月28日に落成式が挙行された。ついで10月1日には岡山県に寄付採納され、同窓会会長から、正面の時計が寄贈されている。
記念館は「100’HALL」と命名された。
(文:岡山県立津山高等学校「津山高校創立100周年記念館の建設」より抜粋)
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音楽祭9月24日市民コンサートブラスフェスティバルの報告

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市民コンサート Ⅳブラスフェスティバル

● 会 場:アルネ津山東広場/ 10:00 開演

中・高校吹奏楽部、一般の吹奏楽団が一堂に会しての市民コンサート。

出 演 : [団体名]久米中学校吹奏楽部、中央中学校吹奏楽部、津山高等学校吹奏楽部、津山西中学校吹奏楽部、作東中学校吹奏楽部、中道中学校吹奏楽部、鶴山中学校吹奏楽部、津山工業高等学校吹奏楽部、勝北吹奏楽団“Brass 勝北”、津山シティーブラス、ダークアイズジャズオーケストラ

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津山高校「第42回 十六夜祭」

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2011年9月8日(木)8:40~15:00(公開)、岡山県立津山高等学校で十六夜祭(文化の部)がありました。

有元 茂校長先生の「第42回十六夜祭の開催に寄せて」です。

 津高生の若い情熱をたぎらせた十六夜祭の季節がやって来ました。今年は、東日本大震災と原発事故という大変な困難があり、未だにその傷跡が深く日本列島を覆っています。未曾有の災難が人々に、改めて「絆」の大切さを思い起こさせたと言われています。

 生徒諸君も、この十六夜祭の取り組みを通じて「絆」の意味を肌に感じているように思います。そして、被災した方々へのエールを胸に秘めながら、自分達の現在を精一杯表現しようと頑張ってきました。

 忙しい学校生活に追われながら、時間的・物理的・肉体的な制約の中で作り上げてきた十六夜祭です。十分なものに仕上がっていないものもあるようですが、津高生の若い情熱に息吹を感じて頂けたら幸いです。お時間の許す限り、御高覧いただきますようお願いいたします。

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久しぶりに河野美術館へ行ってきました。

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▲リニューアルされた河野美術館玄関です。(2011.8.28)  (前回の取材

入館料:無料で土曜、日曜の午前10時~午後5時開館(津山市勝間田町16TEL0868-23-4285)

河野 磐(コウノ イワオ)
大正9(1920))年1月19日生
昭和12年 津山中学校(現 津山高等学校)卒業
昭和16年 国立京都高等工芸学校(現 京都工芸繊維学校)卒業
昭和17年 岡山県美作高等女学校、津山女子商業高校教諭。
昭和23年 学制改革により岡山県美作高等学校、岡山県美作中学校教諭。
昭和26年 退職。東京移住。
昭和43年 美作女子大学、美作短期大学教授。
平成2年 定年退職

平成23年2月8日 逝去


昭和57年 くすのき賞受賞(津山市文化協会より)
平成7年 津山文化功労者表彰(津山市より)

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