大隅神社の秋まつり
2011年10月16日(日)大隅神社の秋の大祭がありました。秋晴れの中威勢よく町内を練り歩きました。大隅神社の御輿は天保13年に造られたもので、160年経っています。昨年修復されて生まれ変わりました。御神輿さまの四隅についているのは、小鳥(燕)、うさぎの絵は、因幡の白兎だそうです。
また、大隅神社には昭徳館「参集殿」があり、 昔はお参りする時に皆さんが集まる所で「おこもり殿」として使用されていたようです。※過去の取材記事はこちら 上記の写真提供:津山市秘書広報室
2011年10月16日(日)大隅神社の秋の大祭がありました。秋晴れの中威勢よく町内を練り歩きました。大隅神社の御輿は天保13年に造られたもので、160年経っています。昨年修復されて生まれ変わりました。御神輿さまの四隅についているのは、小鳥(燕)、うさぎの絵は、因幡の白兎だそうです。
また、大隅神社には昭徳館「参集殿」があり、 昔はお参りする時に皆さんが集まる所で「おこもり殿」として使用されていたようです。※過去の取材記事はこちら 上記の写真提供:津山市秘書広報室
平成23年10月16日(日)津山市小田中の白加美神社(しらかみじんじゃ)の秋祭りがありました。※過去の取材はこちらから
白加美神社縁起(約1220年前)
人皇第44代元正天皇(奈良時代)の御宇当国戸川の宿の北に現在地美しい五色の虹が輝き渡った。苫田縣主通憲が驚いて里人にその所を掘らしたところ数尺も掘らないうちに神代の霊物と思われる、とても美しい璽(たま)が出た。その時忽然としてひとりの老翁が現われ告げるには我はこの月輪田原に居る神である。
この所に降居して久しいが、国人はまだこの地が霊地であること知らない汝を見るに心浄く性直で民を撫し敬神の念篤く「我は汝の誠心に感じ入っている。。※過去の取材はこちらから
平成23年10月9日(日)
高田神社(たかたじんじゃ)は上横野と下横野地区の氏神様で、獅子舞は岡山県指定重要無形民俗文化財です。
「高田神社の獅子舞は、伝承によると、和銅6年(713)に美作国府が開設されて以来、毎年9月9日に美作11社の神々が総社に神幸した時からこれに加わっていたといわれている。
文化・文政から明治期にかけては、とくに盛んで人々に悪魔払いとして信仰を受けて来ている。獅子舞には古くから獅子頭と呼ばれる指揮者がおり、これは獅子を使う技術や人物を見込んで氏子たちが選出した人で、現在では、上が勤めている。
獅子舞の構成は、笛8人、太鼓4人、獅子10ないし12人が一頭にはいることになっている。舞方は最初神社に向かって左側に雄、右側に雌を対置させて二頭の獅子を眠った状態にして置く。次いで、最初の笛、太鼓の音に獅子は目を覚まして耳をそば立たせ、やがて生けるがごとくにらみ合い、右に進み左に退きいどみ合う。これを地ねりという。それから、御旅所に行き、道中においては先ぬけの役目を果たしながら木殿の前に帰って来る。最後は、獅子と称して立ち上がり雌雄双方寄りそっては、かみ合い、睦み合いながら、笛、太鼓のテンポが一段と早くなるのを起点としてすさまじい勢いで拝殿に突進するのである。これを練り込みと称し、獅子舞のフィナーレをかざるものである。現在は、毎年10月第2日曜日の秋祭に舞われている。」高田神社案内板より
鶴山八幡宮(八子の八幡様・つるやまはちまんぐう)で2011年10月10日(月)秋季大祭がありました。鶴山八幡宮は森家代々ゆかりの深い神社で、 現在津山地方北部の大土産神です。本殿は国指定重要文化財になっています。※過去のレポートはこちらをご覧ください。
未来に架ける人の輪・音の輪 第8回 津山国際総合音楽祭「復活」~音楽の原点を求めて~
2011年8月28日(日) 市民コンサートⅠ日本音楽コンサート
日本音楽コンサートが津山文化センター 大ホール( 10:00開演)でありました。市民邦楽団体が日頃の成果を発表する市民コンサート。
出 演 : [団体名]
当道音楽会岡山北支部、 (社)岡山県鶴山吟友会、橘流、出雲街道津山城東音頭保存会、安来節保存会津山支部、 宮坂流津山銭太鼓保存会、日本舞踊 東嵩会、 都山流尺八美琳会、筝曲・千草会、泉洲流雄心吟詠会、 日本舞踊 富継会、日本舞踊 花柳流十の会津山、箏曲集邦会、 本舞踊 雅会、日本舞踊 藤間流市舟会、民謡三橋流美智若会、松若流新舞踊 聖会、菊水流剣詩舞 津山地区会、津山鶴丸太鼓、日本舞踊 こむらさき会、鶴山桜太鼓
平成23年9月13日(火)午後2時~4時、美作大学食物調理実習室にて試食会
いよいよB-1グランプリまであと1ヶ月少々となりました。今年度始めより、製麺業者に対し麺の改良をお願いしいくつかの試作品を使用してきましたが、B-1グランプリ出場にあたり研究会員、協力店約20名による麺の試食会を開催いたしました。
▲北インド宮廷舞踊「佐藤雅子(Miyabi)、出演時間/17:30~18:00、フラメンコの源流とも言われるインドの宮廷舞踊。
田熊八幡が修復され、こけら落としの時に撮ったものだそうです。
田熊八幡神社は、国指定重要民俗文化財となっている農村歌舞伎の回り舞台を保存していることで、有名である。(田熊 文化財を誇る八幡宮の取材)
写真提供:山本建工様
津山市一宮の本光寺参道の前の小路を上がってゆくと美土路昌一氏の墓があり、横には碑が建っている。右上には「言論自由の語は之を守る為め死を辞せざる者のみ言い得る言葉なり」とあり、下方には「この夏は越せそうも無き米寿かな」とある。後者は死の三日前の絶筆である。
↑2015年12月7日現在は先祖代々の墓地で静かに眠っておられます。
(美土路昌一氏は明治19年7月16日中山神社の社家の一軒で生まれた。)
美土路家(現津山高校100周年記念館)の前の津高の門を入ってすぐ、よく伸びた二本の松がある。これは、はじめて空を飛んだライト兄弟の飛行場の松の種をもらって、母校の庭に寄付して植えたもの。
よく言っていた言葉「一歩退って人に接せよ」、「何ごとも、まず相手のことを考えよ」、「水流先を争わず」(文:津山市文化協会「津山の人物」より)
「現在窮乏、将来有望」これは津山市出身で市の名誉市民 美土(みど)路(ろ) 昌一(ますいち)氏が全日本空輸(ANA)の前身である「日本ヘリコプター輸送株式会社」創立時に掲げたスローガンです。
1886年(明治19年)、苫田郡一宮村(現:津山市一宮)で生まれた美土路 昌一氏は、旧制津山中学を卒業後、文学を志し早稲田大学文学に入学されました。苦学の中、文学の道を断念され大学を中退後、朝日新聞社に入社されました。
入社後は第一次世界大戦(青島戦)に従軍されたほか、上海、ニューヨーク特派員を経た後、編集局長として神風号による東京‐ロンドン間の記録飛行を成功に導くなどの活躍をされました。
その後、日本は戦火の渦に突入しますが、戦中、編集局長、常務取締役と朝日新聞社の要職にあった美土路氏は言論の弾圧にさらされます。
酒場放浪記でお馴染みの酒場詩人吉田 類さん、津山に現る。(2011.8.24)
「酒でつながる酒縁社会を目指しましょう!」と無縁社会に一石を投じるメッセージを頂いていましたが、この度、震災後、人とのつながり、絆の大切さを更に気づかせてくれることになりました。
稲葉伸次さんの「この日を待ちわびて来た」と熱い思いの挨拶の後、吉田さんにお願いしたお題は「酒縁社会は地方のまちを救えるか?」ということでした。
吉田さんは「西東三鬼が大好きで津山の歴史散策をされたそうです。そして「津山という町、こんな町はない!洋学の歴史に興味がある!」等などと津山を多いに語って盛り上がった酒縁社会でした。
吉田類さんを呼ぶ会(代表 石原祐佶、副代表 舩岡重勝、幹事 稲葉伸次)
吉田 類(よしだ るい)さんは、1949年6月1日生まれ、高知県高岡郡仁淀村(現吾川郡仁淀町)出身の酒場詩人。シュールアートの画家として主にパリを拠点に活動後、イラストレーターに転身。1990年代からは酒場や旅に関する執筆活動を始めるかたわら、俳句愛好会「舟」を主宰している。高知県観光特使でもある。