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因幡往来に隣接 山王権現を祀る日吉神社

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日吉神社は聞き伝えによると、滋賀県の日吉大社から持って帰ったと言われています。大国主命の弟をお祀りしているとのことでした。太田町内会の宮総代の下山清さんは「昔は廻り舞台もあったが、終戦後に壊したのではないかと思います。そして、参道脇にはワラ家があって賑やかでした。また、日吉神社はすもうの神様なので境内には土俵があり、よく相撲をしていました。」とお話くださいました。日吉神社には記録も紛失して残っておらず、しかも荒れ放題だったのを下山さん達皆で立て直されたそうです。日吉神社は、川崎太田、玉琳、飯綱、東野介代、野介代東分の各町内会が氏子だそうです。毎年7月13日には「お湯立て」があるそうです。2011年10月16日取材

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大隅様のお旅所

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▲ここが因幡街道です。

〔玉琳と因幡往来〕玉琳という地名は、およそ400年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は、森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が北に分岐する場所でもあった。そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(1864)、城下町周辺の要所8ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。

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▲因幡街道を上がっていくと、途中に今宮神社があります。今宮神社は、日吉神社を持って帰った人が今宮さんという宮司で、この地で亡くなり埋葬してできたのが今宮神社だそうです。

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参道です。秋になったら紅葉が綺麗だろうと思いました。

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神楽殿は、おこもり堂と呼ばれている。

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秋祭りには、昭和30年頃までは土俵があってすもうをしていたそうです。

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本殿と末社神(御先稲荷大神社)です。(拝殿前の灯籠には皇紀二千六百年一月吉日と書いてある様に見える)


≪皇紀2600年とは≫
 日本の紀元を、『日本書紀』に記す初代天皇・神武天皇即位の年(西暦紀元前660年に当る)を元年として、起算すると1940年の昭和15年が皇紀2600年に当ります。この年、全国各地で各種の奉祝行事が催行されました。(「桜郷土史研究会」より)


因幡往来に隣接 山王権現を祀る日吉神社
○玉琳の三叉路起点から因幡往来の坂道を上がると、数百メートルと行かず道路に隣接して日吉神社があり、長い旅の出発点ともいえる場所であり、旅人は境内に立ち寄り道中の安全を祈ったと思われる。
○10年ほど前は、大木がうっそうと繁った鎮守の社であった。2004年10月台風に連動した広戸風により多くの樹木がなぎ倒され、社殿も大変な被害をこうむった。しかしその後、氏子たちの尽力で立派によみがえっている。

○この日吉神社は、地元の大田、玉琳、野介代等 近隣集落の産土神であり、神社総代の下関係町内会によって維持管理され、特に老人会による毎月の清掃等で境内の清浄さを保持している。

○日吉神社は、もと滋賀県大津市の坂本にある日吉大社を山王系神社の総本社としている。全国に約4000の山王系神社があり、祭神として大山咋神(山の神・開拓の祖神)と大己貴命(大国主命)を祀っている。

○日吉大社は最澄の開いた比叡山延暦寺の山麓に位置していて延暦寺の鎮守神となったことから、山王権現または日吉(ひえ)権現とも言われている。もとは、中国の天台山国清寺の山王信仰に発し、法華経の守護神として信仰されてきた。平安時代より延暦寺の勢力が拡大し各地に天台寺院が建立されると、鎮守神・守護神として山王権現が勧請された。

○当地の神社は、その昔近江国滋賀郡坂本村の紀 澄弥という法師がこの郷に来往して日吉神社の御分霊を奉祀し、日吉神社として称して祀ったという。爾来、次第に住民が増加し、産土神として尊崇するようになった。神社の南方に今宮と云って紀 澄弥を奉祀する社があると云う。(岡山県神社誌より)

○当日吉神社のお祭りは、正月、夏祭り、秋祭りの三回大隅神社神主による祈祷中心で他に各別の行事はしていないという現状だそうです。

(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)