取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「桜」で検索した結果,369件の記事が見つかりました。

お里んの碑(故郷を愛した人情作家 棟田 博)

rin2.jpg

 故郷を愛した人情作家 棟田 博(明治41~昭和63)が、故郷を題材にした作品『ハンザキ大明神』、『美作ノ国吉井川』、『宮本武蔵』、『そして、御犬小屋が残った』などがあり、多くがドラマ化された。なかでも吉井川を往来していた高瀬舟をテーマにした『美作ノ国吉井川』の女主人公・お里んの碑が津山市民の手で愛染寺に建てられた。昭和47年には津山市文化賞を受賞している。

お里んの碑(故郷を愛した人情作家 棟田 博)の続きを読む

2017年津山さくらまつり

2017sakura18.jpg

 津山の春の風物詩、「津山さくらまつり」が2017年4月1日より市内各所で開催されますした。今年は4月1日~15日.まで開催され、楽しいイベントが盛りだくさんでした。郷土芸能ステージやお茶席、グルメイベントなど期間中は様々な催しがあり、取材した4月11日・12日はたくさんのお客様が来られていました。さくらの花も満開。また、ことしは桜の状態が良いため、4月16日まで津山さくらまつりが延長されました。

2017年津山さくらまつりの続きを読む

八塔寺川ダム

damu1.jpg

 堤の長さ226mの八塔寺川ダムは水と緑のやすらぎゾーンです。サイクリングロードで続く、ダム湖上流には、赤い吊り橋が架かり、春は桜、秋は紅葉の名所ともいえる、渓谷レクリエーション広場。町北部の八塔寺ふるさと村と並ぶアウトドアエリアとして脚光をあびています。(文:『備前市HP』より)

八塔寺川ダムの続きを読む

八塔寺川ダム公園(吉井川中流県立自然公園)

kouen01.jpg

 津山市から備前市の閑谷学校に行く途中に八塔寺ダム(備前市吉永町高田)がありますが、その周辺が八塔寺川ダム公園となっております。昨年、友人が行って綺麗だったと聞いていたので今年は訪ねてみました。昨年は11月の20日が丁度紅葉真っ盛りだと聞いていたのですが、今年は終わりがけでした。それでも十分に綺麗でしたよ。吉井川に沿って細い道を入ると植えてあるモミジのトンネルがとても綺麗です。車から降りて川沿いを散歩すると気分転換にもってこいです。(2017年11月19日撮影)

八塔寺川ダム公園(吉井川中流県立自然公園)の続きを読む

杉宮の八幡様(津山市杉宮)

000honden.jpg

 ここは、旧勝北町の下村地区です。西加茂神社をすこし北に行ったところにあります。ご近所の土井さんにお聞きすると「旧勝加茂村の時は下村の八幡様と呼んでいました。詳しい事は解りませんが下村の人達で現在までお祀りしてきました。」と教えてくださいました。(2012年12月14日撮影)

杉宮の八幡様(津山市杉宮)の続きを読む

『太平記』の物語からできた作楽神社と児島高徳

kojima15.jpg

「太平記」と児島高徳  児島高徳は忍びの頭だった。
「天莫空勾践 時非無茫蠡」(天勾践を 空しゅうする莫れ 時に茫蠡 無きにしも非ず)
 児島高徳は、後醍醐天皇宿泊の院庄の館に忍び込んで、このように読む十文字の詩を桜の木をけずって書きました。
 これはその昔、中国で茫蠡と言う家来が、敵にほろぼされかけた勾践という王を大変な苦労のすえ助け、国を再興させたという物語を例にして、こういう忠義な家来もいないわけではありませんよと、天皇を励ましたものです。中国の古典に詳しかった天皇は、これを見てほほえまれたといいます。
 明治に新劇を始めた川上音二郎らによって、これが芝居として演じられて評判となり、院庄と高徳の名前は、広く全国に知られるようになりました。戦前には、高徳は楠正成と同じ忠義なさむらいとして、教科書にもとりあげられ、文部省唱歌にもなりました。
 学者のなかには、高徳は、『太平記』の作者のつくりばなしであるとか、『太平記』の作者ではないかという人もいれば、瀬戸内の海の武士団であったなどさまざまな見方や意見がありました。『太平記』に何か所も記述されている高徳は、何物であったのでしょうか。
 近年は、地域の歴史が見なおされ研究がすすんできています。関連した人物の資料やさまざまな史実から高徳は、実在の人物であったことがはっきりし、児島あたりの山伏をひきいる忍びの頭であったと、されています。

『太平記』の物語からできた作楽神社と児島高徳の続きを読む

2017年 さら山時代まつり

sarayama2017-30.jpg

 2017年11月12日津山市さら山地区一帯で「第20回 歩いてみんちゃい さら山 さら山時代祭」がありました。毎年行われる時代祭は雨で泣かされることもしばしばでしたが、何とか天気ももって午後には日差しもあり、ウォーキングするには好都合でした。カキ谷古墳~洗顔清水の約3.5kmですが、歩いているのは年配者が多かったようです。周囲の景色を愛でながらウォーキングをすると健康的かつロマンを感じまう。また、お腹いっぱいで良い事ずくめでした。さら山地区の皆様お世話になりました。
2009年2011年2012年2013年2014年2015年2016年2016年隠岐帝祭を訪問

2017年 さら山時代まつりの続きを読む

保田扶佐子画集Ⅱ 刊行記念パーティー

SBT_0070.JPG

 2017年9月29日山下の津山国際ホテルで抽象画家で版画家の保田扶佐子さんの作品集Ⅱの刊行記念パーティー(保田扶佐子美術館主催)が開かれました。作品集Ⅱは、30年近く居住し、制作活動を行っているスペイン・バルセロナ市と津山市を往復しながら描いた保田扶佐子さんの絵画、版画の作品集の第Ⅱ集です。記念パーティーでは、ウエルカム ミュージック(現代音楽)が演奏された後、来賓の戸室敦夫さんの祝辞や美味しい食事を頂きながらの歓談、そしてアトラクションでは大いに笑った楽しい記念パーティーとなりました。

保田扶佐子画集Ⅱ 刊行記念パーティーの続きを読む

阿黒谷(上之町)

2017-10-07aguro-terashita12.jpg

上之町(五丁目)と阿黒谷
 森藩時代から四丁目に続いて千光寺・蓮光寺などが、丹後山南麓に続く。
千光寺ゆかりの養護施設二葉園の前の道を山に向かえば、阿黒谷にかかり、丹後山への登山道となる。阿黒谷は、戦国時代、このあたりにいた土豪阿黒氏がいたところと伝えられている。武家町もこのあたりになると閑散としてくる。千光寺のしだれ桜は見事である。(文:城東観光 看板より)(2017年10月7日撮影)

阿黒谷(上之町)の続きを読む

鬼子母神(きしもじん)西寺町

myo6.jpg

 津山中学校(現津山高校)の校舎が建設されるとき、いま校庭になっている一部に裏地があり、そこにあった石像の鬼子母神が妙法寺に移された。鬼子母神は日蓮宗の仏神で、人の子を食う鬼女が、釈迦の説法で前非を悔い改め、菩薩になったというインドの詞梨帝菩薩を日本に移し、鬼子母神(きしもじん)というようになった。
所在:津山市西寺町妙法寺内 祭神:力リテイボサツ 創建:不詳
(文:『津山城下町まちなかお社巡りマップ』 津山まちづくり本舗)(撮影:2017年4月23日)

鬼子母神(きしもじん)西寺町の続きを読む