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第18番札所 袖椀観音(福力)

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 堂内には、弘法大師と袖捥観音を祀っています。堂の表には3っの表札がかけられています。
【勝南霊場第18番観世音菩薩(白札)】
 高野山支部勝南祈四国18番霊場(木札)
 勝田西国 第12番(木札)
 この3種で、霊場巡りは、明治20年(1887年)頃から盛んになりました。
 昭和10年(1935年)頃でも、先達を中心として白衣姿の巡礼が札所を巡っていたのが見られ、札所近くの人が接待や仮宿をしていました。この巡礼めぐりの創設は、718年頃と言われています。
 【由来】文久元年(1861年)、辛酉の年のこと、殿さまは松平慶倫公で、前年には徳川幕府の大老井伊直弼が水戸浪士に討たれるという大事件【桜田門外の変】がありました。

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 世情騒然の時代となったためか、津山城に古くからあった御利益のあらたかな仏様三体が棄却されることになりました。これを伝え聞いた福力村の信仰心の篤い人々が集まって相談し、村民の総意として、仏様を下げ渡してもらおうと、宮地又左衛門、植月利右衛門、野上九郎左衛門など数人の代表が津山城に参じ、熱意をもって懇請しました。そして、やっと仏様一体を戴き、大八車に乗せて帰津、当地に手作りのお堂を建てお祀りしていくことにしました。毎年、仏様を戴いた7月16日に、香華を手向けて御霊験をたたえ、その日の夕刻には、集まった浄財で、子供たちが、提灯を木々の間に掲げ、花火を上げて賑やかす。大人は、回向念仏を唱えて疫病、災難防止を祈念しました。これが今につながっています。

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【勝南霊場第18番観世音菩薩(白札)】
高野山支部勝南祈四国18番霊場(木札)
勝田西国 第12番(木札)

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(文:大崎地区歴史を考える会発行『大崎の歴史と文化出雲街道界隈編』より)(2018年2月25日撮影)