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取材記事内を検索ワード「塞の神」で検索した結果,14件の記事が見つかりました。

街道筋に祀る昔ながらの塞の神(津山市玉琳)

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津山市玉琳 文久2年(1862)の地図に道祖神と道路の南側にある。
村境や道路の辻、橋畔、峠などに碑石や祠として祀り、外部から侵入しようとする邪悪な霊や疫病などを遮ったり防ぐ神として信仰された。旅行の安全の神でもあった。
(取材2014.6.15)

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六体地蔵(津山市川崎字玉琳)

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津山市川崎字玉琳 神経痛、リュウマチなどに御利益があるといわれている。
墓地の入り口に立つ地蔵石仏、地蔵は六道の救済者とせられ、死後の救いの手として墓地の墓守役として信仰さられている。葬式はもちろん墓参りの時にも必ずまいるが、法華宗や真宗の所には見られない。
六体地蔵は檀陀、宝珠、宝印、持地、徐蓋障、日光の六体の称。

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塞ノ神社(津山市野介代)

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塞の神の長い民間信仰の歴史の過程によって機能は複雑となり、色々な附会された伝承が各地域で受け継がれ、また他の神々と習合され、幸せや金運を授けてく れる神というような現実的な人生の希望を託す信仰にもなっている。岡山県下の塞の神は祠が多く、中北部で、咳、耳、脚の神とされ、塞の神にはその他、縁結 びの神、和合神、性神、道路の神、交通安全の神などさまざまの信仰や形態がある。(2014年5月14日取材)

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田熊 山頂に位置し祀られている愛宕神社

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2012.4.21
田熊 山頂に位置し祀られている愛宕神社
 広野小学校下の小村池を、東に沿って、田熊上土居方面へ至る坂道をあがると、北側の山頂にある位置に愛宕神社が祀られている。丘陵性の山地のため、軽四自動車ならば、坂道を上りきった所からか上土居西山集落の墓地のあたりから、愛宕神社周辺へ行き着くことができる。
 この辺りは、付近で一番高い山のため、樹木のない南面の展望がよく効く所であり、まことに愛宕の神を祀るにふさわしい場所と言える。福井の新宮山にも、同じく山頂部に小祠の愛宕様が祀られているが、こうした場所の限定は、愛宕の神の特性を考えてのうえと思われる。
 愛宕の神は言うまでもなく、京都市嵯峨の愛宕神社から勧請されたものである。京の愛宕神社は、もともとは、山城と丹羽との国境にあたる鷹峰の地に鎮座し、塞の神としての性格を備えていたといわれている。平安遷都後、比叡山に相対してそびえる愛宕山で祀られた。
 火の神の迦遇槌神(火産霊神)を祭神としていることから、鎮火火災の神、つまり都を火災から守る神として信仰され、ついには王城鎮護の神となって祀られた。やがて、多くの修験者たちが山籠りするようになると、愛宕山伏は諸国を遊行し、火伏せの神としての愛宕信仰を広めた。そして、村々の小高い丘を見つけては、そこに分社分霊を勧請してまわった。事例として、NHKの場合、東京港区の愛宕山にあり、その丘の上には愛宕神社が鎮座している。(文:広野の歴史散歩:宮澤靖彦 編著より)

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