美作国建国1300年を記念して、津山商工会議所主催の1300円ご当地弁当が完成しました!
美作地域の食材をふんだんに盛り込んだ 彩り豊かな七種類のお弁当が、4月3日(水)より販売開始です。
本日はそのお弁当の発表会で、津山瓦版も取材に参加させていただきました。
秋のススキが美しい美作河井駅にて2012年11月10日・11日 恒例のスローライフ列車の旅が執り行われました。この日は小雨が降って撮影日和とまでは行きませんでしたが、それでも2日間で約300名のお客様で大盛況でした。地元市民による「手打ち深山そば」をはじめ、今年はなんとだんじりまで出ていて美作河井駅は賑わっていました。(取材2012年11月10日)2011年特集、2007年特集、2008年特集、2010年特集
2012年11月5日・6日に美作加茂駅にてスローライフ列車を迎えてのイベントがありました。当日は大勢の報道陣も来られていましたよ。また、マニアの方を始め沢山の人がカメラを向けておられました。(取材2012年11月5日) 2010年特集、2011年特集
ここは美作滝尾駅 ふーてんの寅さんが来られた所で有名です。そして、駅の構内では歴代の帽子や作業服の展示がしてありました。ここの駅の雰囲気がすごく好きです。その昔私も友人を訪ねてよく来た駅ですが、当時も駅員さんがここで寝泊りしながら列車の安全を見守り続けていたのだろうと感謝しながらの取材でした。(2012年11月5日取材) 2010年特集、2011年特集
勝加茂原字荒神にある。祭神は火産霊神・素戔鳴命・味鉏高彦根命・下照姫命をまつる。原村往古より勝加茂西上(現上村)鎮座の若王子権現を産土神としたが、明治十年その氏子を離れてもともと荒神社のあった地に社殿を建立し、旧来の荒神社の祭神に西賀茂神社及び朝吉神社の分霊を勧請合祀して、上賀茂神社と号した。(歴史めぐり資料より)2012年7月8日取材
「美作神社資料」には、「和銅元年鎮座、大永五年山名太郎左衛門常清の社殿再興、正保七年以来氏子よりその費用を献進する」とありますが、その拠るところが明確ではありません。「勝北町誌」より
久しぶりに津山線を利用し、所用で岡山へ出かけました。電車を利用するとき、いつも楽しみにしているのは津山駅地下道のポスターを見ることです。また、電車に揺られながら本を読んだり、景色をゆっくり見ることができるのは車では味わえないことですね。電車の旅いいですね!(2012年7月11日)
曹洞宗 清涼山 正覚寺 (2012年6月24日取材)
縁起
当院は曹洞宗太源派に属する寺で、作陽誌には次の通りに記述されている。
本尊千手観音 鎮守春日大明神 本寺夢中山幻住寺 境内東西百七十間南北六十五間となっている。本尊は千手観音となっているけれども現在の本尊は釈迦三尊であり、鎮守は白山大権現である。
久米郡旭町大字北にある夢中幻住寺第二代の住職大庵洞益(1434~1461永享6年より寛正二年まで二十八年間住職)は長禄二(1458)年、今の大字宮部下、久保神社の西隣に地に小さな寺を建て、「普門寺」と称した。しかし此の寺は未だ本山からも認められておらず従って寺格もない平僧地であった。
夢中幻住寺は永禄年中に失火、永禄九(1566)年より天正十九(1591)年まで二十六年間無住、其の後天正十九年に法山存悦が幻住寺に入った。
此の人は元和五(1691)年迄二十九年間住職として幻住寺の復興に尽して功績のあった人である。此の法山存悦が幻住寺復興に尽した経験と才幹をもって宮部地方の人々に説き、喜捨を集めて、寺地を宮部上村の王子に定め、前記の普門寺をここに移して寺院を建設したのである。
であるから此の寺の開基も開山も実際には法山存悦であるけれども、普門寺の開山である幻住寺第二代の住職大庵洞益を迎えて勧請開山に据えたのである。
時代はわからないが法山存悦の幻住寺10色在任中の天正十九年から元和五年に至る二十九ヶ年の間と推定する外ないのであって、かいざんは実際よりも百二・三十年も前に遡って長禄二(1458)年の普門寺の開山そのものが此の寺の開山とされたわけである。
作陽誌(西作誌)は元禄二(1689)年から元禄六(1693)年までかかって森藩の編纂した地誌であってこの頃ではすでに山号(清涼山)も寺号(正覚寺)もあり、本尊は千手観音、鎮守は春日大権現で夢中山幻住寺を本寺とするちゃんとした寺院に成長していたのである。(全文:『 久米町史』より)
曹洞宗 清涼山 正覚寺 本尊 千手観音 (津山市宮部上1663)