北川宏人氏講演会が10月8日(月・祝)15:00~17:00にグリーンヒルズ津山・リージョンセンター ペンタホールでありました。
「愛される時間」北川宏人 ~津山とのきずな~展が2012年9月29日(土)~2012年11月28日(水)、棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館) 1F展示室で開催されています。
北川宏人氏のプロフィール
1967年滋賀県大津市に生れる
1989年金沢美術工芸大学彫刻科卒業
1998年カラーラ・アカデミア美術学院彫刻科卒業
個展:奈義町現代美術館(1998)、ミラノ日本領事館(2002)、新宿高島屋美術画廊(2007)、東京画廊+BTAP(2008)、誠品画廊(台湾・2010)、GANT ART(韓国・2011)等
グループ展:「進化」(レーゲンスブルグ・ドイツ・1999)、「もうひとつの楽園」(金沢21世紀美術館・2005)、「工芸の力-21世紀の展望」(東京国立近代美術館工芸館・2007)等
パブリックコレクション:金沢21世紀美術館、東京国立近代美術館工芸館・津山市
2012年9月29日(土)☆午前10時から午後8時、おかやまファーマーズ・マーケットノースビレッジにて「第2回お月見会と竹灯籠」が行われました。(津山の観月際は台風の襲来で急遽中止となりました。)
「小さな善意の灯火がやがて大きな光りとなることを願いながら、秋の夕べをごゆっくりとお過ごし下さい。」お月見実行委員会より。当日は台風がやってくるとのことで、芝生広場から急遽建物の中ですることとなりました。大した風や雨の被害も無くて無事に済みました。お月見団子や抹茶セットをいただき、夕べのコンサートを聞きゆったりとした時間が持てました。
加茂神社由緒
鎮座地 津山市加茂町公郷字菊水山1,399番地
御祭神 味鋤高日子根命/伊弉諾命/大山咋命/伊弉册命
配祀 大巳貴命/崇道天皇
祭日 大祭 例祭 10月第2日曜日/祈年祭 4月29日/夏越祭 7月25日に近い土曜日/新穀感謝祭 11月25日に近い日曜日
本殿 流造
末社 八幡神社、御先神社、美保神社、英霊神社、養老神社、若宮神社、天満神社
本社は、旧杉大明神と称し勧請年月興廃の沿革等不詳なりといえども、古昔より古老の口碑によれば往古苫北郡と称する時一ノ宮と尊崇される。桓武天皇の弟早良親王の御陵あるを以て崇道天皇と改称する。
明治6年2月加茂神社と改称し、尚、能野神社、元公郷上分字高場に、又、日吉神社公郷下分字日野目に古昔より鎮座ありしを明治42年5月2日本神社に合祀した。昭和7年7月7日雷火の為炎上し同8年4月再建立する。昭和43年3月26日、加茂町指定文化財に指定された第一号秋草双雀鏡は青銅の鏡(平安時代)で境内裏山から明治15年に発掘されたものです。加茂町観光協会協賛 (看板より)2012年8月22日取材
「愛される時間 北川宏人 ~津山とのきずな~」作品展について
棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)では、このたび「愛される時間 北川宏人 ~津山とのきずな~」を開催する運びとなりました。
北川宏人氏は、1967年滋賀県大津市生まれ。金沢美術工芸大学彫刻科を卒業し、1990年からイタリアへ留学しました。
特に1993年~1998年の間は、実家のある津山にて生活。イタリアの美術学院の夏休みに帰国し津山の工場で働きながら留学資金を得て、苦学しながら卒業しました。
その後、イタリアで彫刻活動を長年続け、現在は東京にて制作活動を行っています。
14年間の留学期間中、まだ日本国内では研究されていないテラコッタ彫刻制作の技術を学び、習得しました。その技術力をベースに、世界的に見ても独自性の高い次世代の人物彫刻を制作し続け、世界中から高い評価を受けています。
津山での滞在期間中に作られた作品は、現在も多くの作品が地元の愛好者によって各家庭で大切に愛され続けています。
「愛される時間北川宏人 ~津山とのきずな~」作品展の開催概要
開催期間:2012年9月29日(土)~2012年11月28日(水)
開催場所:棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館) 1F展示室
開館時間:10:00~17:00(入館受付は16:30まで)
休 館 日:木曜日
入 館 料:500円(大学・専門学校生は300円。2F常設展への入場もできます。)
北川宏人氏講演会の開催概要
開催日時:10月8日(月・祝)15:00~17:00
開催場所:グリーンヒルズ津山・リージョンセンター ペンタホール
入場は無料。(予約、整理券等はありません。)
2012年9月23日(日)自分たちの地域は自分たちでつくる!第3回「津山"たかくら塾"」が開催されました。NPO法人英田上山棚田団 理事の西口和雄(@かっち)さんを講師に、お隣の美作市、上山棚田への視察をかねて現地開催となりました。当日は、津山"たかくら塾"の塾生5人・高倉自治協議会6人で、その他は幸雲南塾や県内外からの一般参加者の方々が一緒に勉強しました。(「津山瓦版」は、会員さんでもある高倉自治協議会の皆さんを追っかけ密着取材させていただきました。とれたて新米のおにぎりが美味しかったですよ~。高倉自治協議会
●津山市"高倉地域"について
津山市は古くから、岡山県北・美作地方の拠点として中心的役割を担ってきました。
現在も津山城跡(鶴山公園)を中心にした城下町の風情を残しつつ、周辺には豊かな森・水・里山のある、歴史と自然の調和したまちです。
高倉地域は、農村地域としての風景を残しながら、利便性にも恵まれている一方で、
子どもと若者の減少により地域の高齢化が進んでおり、その対策が急務となっています。
2011年10月に、『住んでよし、いってみたい高倉』を目指し「高倉自治協議会」を設立し、市との協働による地域づくりをスタートしました。
地域の資源を活用した絆づくり、仕事づくり、人づくりなどを中心に、交流人口や定住人口の増加による地域の活性化を目指しています。
広戸川を渡り、大町の集会所のそばを通って東の山に登り、植月の県林業試験場に抜ける山道が通っている。軽四ていどの車ならば上がって行ける山道であるが、その山頂近くの道端に、木山様の鳥居が見えて来る。
林に囲まれた木山様にふさわしい静かな境内に、二つ御社が配祀され、よく手入れされた神社らしきたたずまいを見せている。
昭和拾年
木山神社御社再建立 正遷座祭 欽行
壱月参拾日
二つ社殿には、昭和10年(1935年)に再建されたことを表わす、次の棟札が納めてある。
木山氏子下木・大町連中としてこの再建にかかわった住民29名の氏名が、別札に銘記されている。
さらに、今一つの御社には、国歌安泰・氏子安穏を祈って、「奉再建善覚神社一宇成就」と記された、同じ年代の棟札が納められている。
木山様を祀る御社内には、明治十年丑(1877年)四月八日の奉納札もあるが、古い棟札として、天保2年(1831年)の再建を記した棟札がある。境内には、安永5年(1776年)と刻んだ古い浄水鉢も置かれている。
数十年おきの再建を考えるならば、江戸時代半ば以前からの信仰と言えよう。
天下泰平 天保二辛歳 祭主 金藤豊後守
齋奉再建立木山午頭天王感應一宇成就息 受延命處
国土安穏 卯八月吉日 藤原正清謹書
2012年9月9日(日)取材(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)
田熊分広戸川の東側に小字大町・下木集落があるが、その東側山地の山頂部に龍王様が祀られている。木山様の近くと聞いて訪れたが、海抜200mほどの山頂部は、平坦地ではあるが樹木が茂って道もふさがっており、案内なしには、たどりつけない状況であった。
地元の婦人でさえ、話は聞いているが、お参りしたこともなく道は知らないと疎遠な様子であった。今や存在がうすれかけているが、かつて龍王様は、農民にとって水田の用水の確保のために欠かせない天の雨をつかさどる大切な神様であった。天候不順でとりわけ田植え時期や夏分に何日も雨が降らない干天が続くと、熱心に龍王様を拝み、やぐらを組んで大火を焚くいわゆる千駄焚き(せんだたき)をして雨乞いを行った。水源の浅い広戸川は、干天続きには水涸れを起こしやすいことから、龍王さまを祀る必要があったと考えられる。
2012年9月9日取材(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)