取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「神社」で検索した結果,767件の記事が見つかりました。

琴弾の滝(ことびきのたき)

sanomiya20.jpg

 岡山県美作市滝宮に天石門別神社がある。別名「滝の宮」がこのあたりの地名の由来にもなり、御祭神の鎮座は2000年も前に遡るという歴史ある天石門別(あめのいわとわけ)神社。
 こちらの境内の奥へすすむと、落差13m、幅5mの「琴弾の滝」を見ることができます。滝は2段からなり、上の滝を雄滝(おんたき)、下の滝を雌滝(めんたき)と呼ばれ、古くから知られている名瀑です。夏は天然の涼場となり、秋は紅葉の美しいことで知られています。
 静寂に包まれた一帯は、滝や自然のマイナスイイオンとともに清清しい雰囲気が漂うパワースポットとしても人気の名所です。(文:美作市HPより抜粋)(2017年11月19日撮影)

琴弾の滝(ことびきのたき)の続きを読む

広戸神社の尼子杉(天然記念物)

hirodo-sugi.jpg

 広戸神社の拝殿前にあります。樹高28m、目通り周囲5.6mで、推定樹齢は500年です。別名尼子杉と呼ばれています。
 天文2(1533)年に出雲国富田城主尼子径久が矢櫃城を攻めた時、本社は兵火で焼失してしまいました。戦勝した尼子氏は、神慮を慰めるため社殿を再建し、その社頭にスギ、フジを植えたと言われています。尼子杉の名称は、この事に由来しています。(文:2008年津山市教育委員会発行『津山市の文化財』より)(2017年6月4日撮影)

広戸神社の尼子杉(天然記念物)の続きを読む

杉宮の八幡様(津山市杉宮)

000honden.jpg

 ここは、旧勝北町の下村地区です。西加茂神社をすこし北に行ったところにあります。ご近所の土井さんにお聞きすると「旧勝加茂村の時は下村の八幡様と呼んでいました。詳しい事は解りませんが下村の人達で現在までお祀りしてきました。」と教えてくださいました。(2012年12月14日撮影)

杉宮の八幡様(津山市杉宮)の続きを読む

『太平記』の物語からできた作楽神社と児島高徳

kojima15.jpg

「太平記」と児島高徳  児島高徳は忍びの頭だった。
「天莫空勾践 時非無茫蠡」(天勾践を 空しゅうする莫れ 時に茫蠡 無きにしも非ず)
 児島高徳は、後醍醐天皇宿泊の院庄の館に忍び込んで、このように読む十文字の詩を桜の木をけずって書きました。
 これはその昔、中国で茫蠡と言う家来が、敵にほろぼされかけた勾践という王を大変な苦労のすえ助け、国を再興させたという物語を例にして、こういう忠義な家来もいないわけではありませんよと、天皇を励ましたものです。中国の古典に詳しかった天皇は、これを見てほほえまれたといいます。
 明治に新劇を始めた川上音二郎らによって、これが芝居として演じられて評判となり、院庄と高徳の名前は、広く全国に知られるようになりました。戦前には、高徳は楠正成と同じ忠義なさむらいとして、教科書にもとりあげられ、文部省唱歌にもなりました。
 学者のなかには、高徳は、『太平記』の作者のつくりばなしであるとか、『太平記』の作者ではないかという人もいれば、瀬戸内の海の武士団であったなどさまざまな見方や意見がありました。『太平記』に何か所も記述されている高徳は、何物であったのでしょうか。
 近年は、地域の歴史が見なおされ研究がすすんできています。関連した人物の資料やさまざまな史実から高徳は、実在の人物であったことがはっきりし、児島あたりの山伏をひきいる忍びの頭であったと、されています。

『太平記』の物語からできた作楽神社と児島高徳の続きを読む

龍頭山 善應寺(大篠)

2015.11.11kasa-15.jpg

 本堂横にあるのが樹令200年の「傘大モミジ」。2009年に大手術をして、今年は元気になって美しい姿で、一際めだっておりました。善應寺は高等高田小学校跡地の碑があったり、モミジの根元には、高浜虚子が読んだ大紅葉の句碑もあります。(2015年11月11日取材)(2015年のアジサイ)、(2014年の取材)、(2014年のアジサイ)、( 2012年の善應寺の樹令200年の「傘大モミジ」)、(2009年の取材

龍頭山 善應寺(大篠)の続きを読む

浮田神社(上紺屋町)

koyamachi3.jpg

上紺屋町の町内神。浮田の名の由来は、不詳。
 ここの道路の北側に稲荷社と金比羅社が把つであったが、明治の頃、町内の鳥羽屋に肥られていた御大師様と合わせ三体を並べて大師堂と称し町内でお記りするようになった。その歴史は明らかでないが、古くからのものと思われる。
所在:津山市上紺屋町 祭神:宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
創建:不詳 祭礼:秋祭10/第三日曜 (文:津山城下町まちなかお社巡りマップ  津山まちづくり本舗より抜粋)(撮影2017年4月23日)

浮田神社(上紺屋町)の続きを読む

髙守神社(坪井町)

tsubaoi4.jpg

 坪井町の町内神は伏見稲荷より文政4年(1821)に勧請した髙守神社である。
髙守神社のある場所に髙砂屋金次郎という人が住んでいた。その屋敷神とし記られていたものが町内に引き継がれている。以前は髙森神社と称していたのを、明治24年(1891)に社殿が造営されたのを期に改めた。表通りからは見えずあまり知られていないが、きれいな町内神である。(文:『津山城下町まちなかお社巡りマップ』 津山まちづくり本舗)(撮影:2017年4月23日)

髙守神社(坪井町)の続きを読む

第55回 美風盆栽展

bonsai13.jpg

 2017年10月22日(日) ~29日(日) 「第55回 美風盆栽展」が津山市山下の津山城(鶴山公園)内の鶴山館で開催されています。2017年10月24日の台風一過の日に拝見してきました。会場内のとても立派な盆栽に驚き、小さな枝に大きく実った柿を見て随分丹精を込めて育てられたんだなぁ~と感動しました。また、鶴山館の外では即売などがあり、鉢植えがずらりと並んでいました。茶道裏千家の淡交会津山支部の抹茶のお接待もありました。ちなみにオープンの日10月22日は、接近してくる台風の為「津山まつり」の徳守神社と高野神社のお祭りのだんじりやお神輿の出動が取りやめになったくらい近年にはない雨や風の強い日となりました。(2017年10月24日撮影)

第55回 美風盆栽展の続きを読む

新屋敷荒神社(新屋敷)

koukaidou11.jpg

新屋敷の町内神として荒神社がある。左右にお末社三社を祭把し、由緒は不詳。
新屋敷の侍屋敷は約52年存続し、元文4年(1739)に廃された。文人画家の広瀬台山も文化年間にこの界隈、安岡町の裏屋敷(墓碑には新田村とある)で晩年を過ごしたという。(文:『津山城下町まちなかお社巡りマップ』 津山まちづくり本舗)(撮影:2017年4月23日)

新屋敷荒神社(新屋敷)の続きを読む