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「エディ・ゴメス トリオ」ってどんな人達?

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「エディ・ゴメス トリオ」ジャズコンサート(無料託児サービスあり) 

2011年9月19日(月・祝)18:00開場~18:30開演 津山市勝北文化センターであります。

入場料:¥4,000〔全席指定〕


 さてさて、「エディ・ゴメス トリオ」って聞いたことがない!という人に、知る人ぞ知るジャズ通でもあり、鶴山桜太鼓のメンバーでもあるアムズの松岡一夫さんに聞きました。

エディゴメスさんってどんな人?

「まず!超ベテランで白人のベースマンでは3本の指に入る。ジャズの世界ではメジャーな人で、人の借り物のベースでも素晴らしい音を出す人!それに、確実なプレイをされる人です。充分期待に応える演奏が聞けること間違いなし!何はともあれ、そのすごさを体感してみてください。普段ジャズを聞かない人も感動すること間違いなし!」

「超一流のプレーを一度聞いてみんちゃい!」「でぇ~らいええで!」

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川崎八幡神社の湯立て神事

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▲湯立て神事(写真は2010年) 川崎八幡様年取材記事 

川崎八幡神社縁起 

 鎌倉時代(1185~1333年)後期、朝廷は南北に分裂し、うち続く戦乱に世相は騒然を極めていた。

 元弘二年(1332年)後醍醐帝は、隠岐配流の途中、院庄に駐輦された。
 備前国の忠臣、児島高徳は、杉坂峠(作東町)から御跡を慕い、院庄館で夜陰にまぎれ庭の桜樹に十字詩を奉った。

当事の林田郷川崎村は、吉井川と加茂川が合流して出来た三角州一帯(宇古屋敷)に在り、農耕を主体として生計を営んでいた。洪水による自然災害や、うち続く戦乱のなかで住民は信仰により安住を求めるようになったのであろう。
 元弘元年(1331年、661年前)豊前国宇佐郷(大分県宇佐市)に鎮座する宇佐八幡宮(祭神:誉田別尊「応神天皇」、比売神、気長足姫尊「神功皇后」の三神)を勧請し古屋敷地内に奉祠した。

 慶長八年(1603年、389年前)森 忠政が津山藩主として、信州川中島から、18万6500石を領し入卦、二代長継、三代長義に亘り、石高を増やすため新田の開発を図るとともに、平地から集落を高地へと移転させ農地の拡張を図ったため、実石高は26万石を超えるまでとなった。

 貞享二年(1685年、307年前)三代藩主長義の代に、川崎村の集落は北側の高台(宇寄広)に移転させられた。これにともない、神社も現在地(津山市川崎八幡西1042番地)に遷祠され、社号を弓矢八幡宮と称し安産の守護神として氏子はもとより近隣からも崇敬された。

 境内に三宝荒神社、末社として大歳大明神、惣道大明神、春日大明神、兼田大明神の四社が合祠された。

 現本殿は、近郷まれに見る緻細な彫刻を配しており、文政四年(1821年、171年前)津山藩主、八代松平斉民(確堂)の時代に再建されたものと考察される。(基礎台石に文政治四年三月、石工嘉左衛門の記名がある。) 旧拝殿や舞台、御輿、末社について江戸中期から後期にかけて建設されたものと考えられているが記録はない。先祖代々、崇敬維持されてきた神社拝殿、末社が老朽のため、このたび改築の運びとなったことは、氏子をはじめ関係者の皆様の信仰と郷土愛の賜であり、これを子々孫々に至るまで敬拝、継承を念ずるものであります。(2011年7月18日取材)

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楢船着き場跡の常夜灯

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楢の常夜灯沿革 (津山市楢字下浜37番の2) 2011.6.14
 初代津山藩主森忠政は高瀬舟による吉井川の舟運を開いた。支流の加茂川においても、因幡往還との接点である楢村に舟着き場を設けて年貢米等の積み出しの便を図った。施設は石雁木、荷揚げ場、米置き場、詰所、などがあった。建設に当たっては護岸に川石を用いず、近くの鷹山の中腹の岩石を切り出して石積みを行った。
 楢村が幕領に移されてからも、川湊としての機能はますます重視された。勝北地域の幕領の年貢米の積み下げの重要な河岸とされ、吉井川流域では最も多く積み出した。
 諸物資の流通もまた盛んになり、楢村は周辺地域の物資の集散地として多くの人々で賑わった。因幡往還の両側に日用雑貨や食べ物の店などが並んで在町を形成し、大商い・小商いの商業活動が活発に行われ、やがて、大商いは城下の商業と競合するまでになった。
 また、舟運による情報や文化の流入、商業活動の活発化等は村人の意識に多大の影響を与えた。商業活動の確保や米置き場問題、化政期からの私塾経営等特徴ある活動が行われている。
 文化元年、津山藩領に編入時、楢村の商業活動は曲折の後藩から追認され、以後明治にいたるまで楢村は在町として発展を続けた。
 幕領時支配の変更のたびごとに発生した米置き場問題も、楢村が津山藩に編入された際には困難を極め、ついに訴訟するに至った。そして、文政11年になってやっと解決した。
 天保9年、村人はこれらの問題の解決を喜び、村のいっそうの発展を願って常夜灯を建設した。こも銘文から建設の寄付集めや諸世話・石集めから石工にいたるまで、村を挙げての取り組みであったことが伺える。

(文:多胡益治さん)

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津山城(鶴山公園)さくらまつりイベント

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▲2011.4.17(日)津山さくらまつりのイベント会場

多くのお客様にお出でいただきお陰さまで完売となりました。ありがとうございました。

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院の庄【津山市院庄地域】

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▲院の庄地図(2011.4.16)。(昭和54年10月23日発行:院庄誌より)

 院庄の地は美作の略(ほぼ)中央にあたり、西から東に吉井川が流れ土地は平坦で水陸交通の便に恵まれ上古より美作の中心として栄えて来た所である。
 崇神天皇の御宇(316-391)諸国に神戸(じんご)を定め給うや吉備の神戸は苫西郡神戸郷に置かれたと、古書にあるから、それが立地条件から見て院庄の地であることは容易に諾ける。神戸とは諸国総鎮守の祭典、修理の用に充てるための領地で、美作一宮即ち中山神社、美作二宮即ち高野神社の神領になる訳である。
また、大化の改新の昔、院庄平野条理(現在の農地基盤整備)が行われていることから推しても、古くから肥沃な耕地が開けていたことが伺われる。下って王朝時代後鳥羽院の荘園となり、ここから院の荘(庄)の名が生まれたことは広く世に知られているところである。
 次いで源頼朝が鎌倉に幕府を開いて武家政治を始めるに当たって諸国に守護職を置き地方の統治を行ったが美作守護職の館は院庄に置かれており、今の作楽神社境内がその遺跡を留めている。
元弘2年、後醍醐天皇は北条高時のために捕えられて隠岐に遷(うつ)されたが、その途中院庄の守護職館に3泊4日御逗留(とうりゅう)になったと伝えられている。その時備前の国の住人児島高徳が、ひそかに行在所に忍び入り桜を削って有名な「天勾践ヲ空シウスル莫レ時二范蠡無キニシモ非ズ」の十字の詩を書き記し、聖慮を慰め奉ったことは余りにも有名である。
「天莫空勾践 時非無范蠡」(「天よ、越王勾践にあたる後醍醐天皇を見殺しに してはならない。時には、越王を助けた范蠡のような忠臣、つまり、この私高徳がいるのだから」)というように解釈しているようです。

天皇御駐輦中の御製に次の二首がある。
あはれとはなれも見るらむわが民を
   思ふこころは今もかはらず

よそにのみ思ひぞやりし思ひきや
   民のかまどをかくて見むとは

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篠山城跡【さら山地区】

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▲篠山城跡(2011.4.10)

  早春の佐良山の東面に位置する山々は、可憐な白い花弁を一杯に広げた純白の「辛夷」の花で彩られます。その中でも一番美しい群生を見せる場所として、「篠山」があげられます。
 佐良山には「佐良山三座」と称される山々があります。「嵯峨山」「神南備山」そしてこの「篠山」です。古歌に「美作や久米のさら山さらさらに わが名は立てじ萬代までに」と謡われた「久米のさら山」を巡って、諸説が飛び交いいまだ決着を見ていない佐良山を取り巻く秀峰をいつしか「佐良山三座」と呼ぶようになりました。
 ちなみに嵯峨山には、これぞ「久米のさら山」であるという「佐良山碑」(市文化財)が津山藩により1816年に建立されていますが、それはそれとして佐良山の人たちはこの美しい山々をこだわりなく誇りに思っていると思われます。

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中須賀船着場石灯籠

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▲中須賀船着場石灯籠(2011.4.10)

中須賀は、吉井川の船便を利用し、下流にある備前国との交易をする物資の集積地として、また宿場町として栄えた地で、出雲街道の要衝のひとつであった。
 ここにある三基の灯籠は、航路の安全を祈る為に建てられたもので、出雲街道の両側に伊勢神宮内宮・外宮(明治元年11月吉日)の石灯籠が、また、吉井川沿いには金比羅宮(嘉永7年10月吉日)と刻まれた石灯籠が建てられ、常夜灯として昭和10年代頃まで各家順番で点火していたということである。
その後、これらの石灯籠は、河川改修によりこの場所に集められ、現在に至っている。久米町教育委員会(2011年4月10日、中須賀船着場の看板より)

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津山城(鶴山公園)さくらまつりのイベントの様子です。

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津山さくらまつり 津山城(鶴山公園)
毎年春に行われる「津山さくらまつり」。大きく立派な石垣の上に約1,000本の桜が咲き乱れ、日本のさくら名所100選にも選ばれています。
期間:平成23年4月1日~15日 入園料金:300円(小中学生は無料 30人以上2割引)
開園時間:さくらまつり期間中は7:30~22:00 (4月~9月は8:40~19:00) (10月~3月は8:40~17:00)

関連リンク:
津山観光協会 津山さくらまつり2011(会場図などこちら)
津山市公式サイト

津山市駐車場情報(空車状況がわかります)

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【4月3日】千光寺のさくら咲いています。

ライトアップ自粛の情報がありましたがデマだったようです。弊社の裏付け不足でご迷惑をお掛けしたことを深くお詫び申し上げます。(平成23年4月7日 追記)

 

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▲2011年4月3日(日)

千光寺のしだれ桜が咲いています。夜のライトアップが始まっています。

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