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取材記事内を検索ワード「温泉」で検索した結果,63件の記事が見つかりました。

美作しいたけ園のお花たち

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 県道179号線に沿って江見駅から林野方面に行く途中に美作しいたけ園があります。湯郷温泉から車で5分くらいの所です。車で走っていたら、木々の間にピンクや黄色の色とりどりのお花が見えてきたので立ち寄ってみました。美しいグラデーションに感激しました。また、3月なのですがシイタケ狩りやタケノコ狩りができるそうです。そして広場には「現今上陛下の行啓記念碑」もありました。(2018年3月31日撮影)

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【津山人】浮田佐平(1867-1939)

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 浮田佐平は、慶応3年(1867)、父卯佐吉と母柳の間に生れました。
 父卯佐吉は、幕末に筑後屋という屋号で米仲買頭をしていました。明治に入って貨幣改方手代を命じられ、明治21年(1898)には、津山銀行の支配人となりました。
 母柳は明治10年に津山にあった岡山県勧業試験所を習了後、助教を命じられました。明治13年、同所が廃止されることになり、夫卯佐吉とともに養蚕所・製糸場を建設し、後進を養成しました。 
 浮田佐平は、両親から受け継いだ製糸業をはじめとして、多彩な事業を展開していました。
 大正十一年(1922)、五十五歳のとき、陶磁器製造を始めます。佐平は、九谷焼・清水焼・伊万里焼など、全国的に有名な焼物のどれにも似ていない、独自の焼物を開発し、美作の特産品にしたいという目的を持っていました。海外、そして数百年先でも通用する美作特産佐平焼が完成すれば、津山の工業の発展につながると考えていたのです。
 それは、「津山の生んだ事業界の偉傑」と語りつがれている浮田佐平の、壮大な戦いのはじまりでた。

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片山 潜 記念館(久米南町)

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郷土の偉人・片山潜
 片山潜は1859年(安政6年)久米南町羽出木の庄屋、藪木国平(父)きち(母)の二男として生まれ、幼名を菅太郎といい19歳まで勉学のかたわら家業に精励した。その後片山幾太郎(建部町下神目)の養子となり(徴兵回避のためともいわれる)のち復籍し、さらに片山常吉(久米南町塩之内)の養子となる。この頃、名を片山潜と改める。
 1884年(明治17年)26歳で渡米、働きながら苦学し、グリンネル大学などを卒業し、その間、社会問題、労働運動に関心を持ち社会主義者となった。そして38歳の時、13年ぶりに帰国、明治30年にキングスレー館を開き社会主義、労働運動の啓蒙、普通選挙の実現や反戦平和の運動など多彩な文筆活動、実践運動に専念し日本の社会主義運動に偉大な足跡を残した。
 大正3年9月9日、日本での弾圧下を逃れて渡米し永遠に日本には帰らなかった。
 1922年(大正11年)の暮れにコミンテルの極東民族大会(ロシア)に参加して議長を務めるなど、精力的な活動を続け1933年(昭和8年11月5日13時50分)クレムリン病院で故郷羽出木の秋の空を欧州第一のトロサックスの空よりも美しいと遠く故郷に想いをはせつつ74歳の生涯を閉じた。
(久米南町観光協会)

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湯郷(かさね岩の伝説)の近くのお題目岩

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お題目岩(美作市)概要: 元禄15年(1702)、聞法院理賢と聞法院妙賢が巨石に法華経「南無妙法蓮華経」を刻み込みました。題目とは法華経の中で記されている「南無妙法蓮華経」の文句の事で法華経を採用する宗教団体が勤行の際に用いられます。全国的にも題目石、題目岩と呼ばれる巨石、巨岩が存在し多景島(滋賀県彦根市)や岡山県和気町、最上稲荷神社(岡山県岡山市)、総社市清音軽部、登別市登別温泉町、岡山市富山地区には各地区毎に題目石が建立されています。(文:湯郷温泉観光・旅行見所ナビより)(2016年11月8日撮影)

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百々(どうどう)温泉 めぐみ荘

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三角屋根の百々温泉 めぐみ荘に行って来ました。ここは大き目の浴槽があるので、ゆったりのんびり入浴できます。温質はラジュウム温泉(単純弱放射能泉)なのでサラサラとしたお湯です。刺激の少ないお湯なので、病後の保養・美肌づくりの湯として地元の人にも古くから親しまれているそうです。また、施設は新しくて綺麗で、ラウンジやマッサージコーナーも広々としていて居心地はいいです。食堂では、カレーや麺類・丼物などの軽食もあり、お風呂上りにはビールも飲めます。(2017年3月30日撮影)

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薬師堂(湯峯)(津山市西田辺)

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 元禄時代の中頃までは温泉の跡があって「薬師堂」があったことが作陽誌にある。
昔、温泉が出ていて、冬でも氷が張らない湯峯があった。
奥津より赤牛を引いて湯を持ち帰った為、温泉がなくなったという昔話がある。
 現在は薬師堂があり、苫津霊場第11番札所として信仰され地域の人たちによって手厚く守護されている。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)

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百々温泉めぐみ荘のとびっきり可愛いお雛様

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2017年3月25日、百々温泉めぐみ荘へお雛様を拝見しに行って来ました。なんとなんと可愛いお雛様だこと。このお雛様は、加茂保育園児が作ったそうで素材は身の回りにある物ばかりでペットボトルやストローに水引等々でした。とびっきり可愛いお雛様に心ほっこりでした。また、百々温泉めぐみ荘のラウンジは広々としているので、コーヒーを頂いたりしてゆっくりして来ました。

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湯郷温泉おひな祭り2017

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2017年3月18日~26日の間、湯郷のお雛まつりに行って来ました。湯郷地域交流センター、各旅館、店舗など約35軒が雛飾りを展示されていて街歩きしながらゆっくりと雛めぐりが楽しめました。今年は湯神社参道の階段雛が初めてお目見えしました。また、3月25日・26日には観光案内所前でコスプレステージがあるそうです。ゆ~らぎ橋付近では人間雛がお目見えとか、楽しみですね!(取材:2017年3月19日)

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【津山人】西東三鬼-俳句界の風雲児

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明治33(1900)年から昭和37(1962)年津山市南新座に生まれる。
 本名は齋藤敬直(さいとうけいちょく)。33歳の時、歯科医だった三鬼は患者達のすすめで俳句を始める。この時から使用したペンネームが「三鬼」で「サンキュー」をもじったものといわれている。
 35歳で代表作の「水枕ガバリと寒い海がある」を発表し新興俳句の有力な作家として認められたが、戦争一色となる社会情勢の中で、新興俳句は内容が革新的であることにより弾圧をうける。
 終戦後、俳句を再開した三鬼は、近代文学としての俳句の可能性を求め、俳句の復活を志した山口誓子とともに昭和23(1948年)「天狼」を創刊するなど俳句の復興に尽力。また、敗戦直後の混乱した時代に俳人が俳句で生計を立てていけるようにと現代俳句協会を創立。句集として「旗」、「空港」、「夜の桃」、「今日」、「変身」がある。
(掲載されている写真・文章等の著作権は津山瓦版または情報提供者に帰属し、一切の無断転載を禁じます。)

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