美作の大庄屋「土居家」(下田邑)
土居家 土居七郎兵衛 西北条郡下田邑村 森藩~松平藩
大庄屋まで
土居氏は、伊予の河野家の末裔である。天正年間に毛利氏の武将であった土居四郎次郎が神楽尾城の守りとして入ってきたのが、田邑土居家の始まりと伝えられている。その子、孫右衛門が帰農した。七郎右衛門が寛永8年(1631)大庄屋に任命され、二男太郎右衛門が河辺村土居家、三男伊右衛門が田辺村土居家として分家し、ともに大庄屋を勤めた。
土居家 土居七郎兵衛 西北条郡下田邑村 森藩~松平藩
大庄屋まで
土居氏は、伊予の河野家の末裔である。天正年間に毛利氏の武将であった土居四郎次郎が神楽尾城の守りとして入ってきたのが、田邑土居家の始まりと伝えられている。その子、孫右衛門が帰農した。七郎右衛門が寛永8年(1631)大庄屋に任命され、二男太郎右衛門が河辺村土居家、三男伊右衛門が田辺村土居家として分家し、ともに大庄屋を勤めた。
2020年3月14日のお昼過ぎ、イナバ化粧品店に立ち寄ってきました。コロナウイルスの影響で店内外には消毒液を配置し、マスクは勿論、滞在時間は短く、換気を数回するなどしてコロナ対策に気を付けながら、遠くから来られているお客さんをがっかりさせないようにとお店を開けていらっしゃるそうです。色々とあるけれど、ファンの皆さんの優しい言葉に胸がいっぱいになるとお話しくださいました。
〈イナバ化粧品店臨時休業のお知らせ〉
いつもご利用頂き誠にありがとうございます。
この度の新型コロナウイルス感染症拡大の状況を踏まえ、皆様の健康と安全を第一に考慮した結果、3月19日(木)から3月25日(水)の一週間、臨時休業とさせていただきます。
また、営業再開日につきましては、3月26日(木)を予定しております。変更の場合は改めてご案内させていただきます。
ご来店を楽しみにしてくださっていた皆様には急な決定となり、大変ご迷惑をお掛けいたしますが、ご理解のほどよろしくお願いいたします。
※ファックスでのご注文のみ受け付けております。
イナバ化粧品店(2020年3月19日)
2020年3月8日、津山市野村で「ギャリーふう」を営んでいる奥田福泰さんを訪ねてきました。
ギャラリーふうでは、やさしいピンク色の桜の花が満開で、一足先に春がきたようです。またその傍らでは華やかなお弁当箱の中には美味しそうな卵焼きをはじめ沢山のおかずがぎっしり詰まっていました。これらは全て陶器で作られた奥田さんの作品です。いつもユニークで品格のある作品に驚かされます。(2013年、2017年、2018年の作品展の様子です。)
津山唯一のイベントプランニング会社のスタジオK2が、道路拡張工事に伴う立ち退きで、2020年2月24日(月・祝)をもち、一時閉店となりました。音楽好きの方々の想いでのスタジオ風景が消えるのは寂しいものです。そこで社屋が取り壊される前の3月8日のお別れ会の様子を送ってもらい写真集にしてみました。
「敷地内でのリニューアルオープンを予定しておりますが、練習スタジオ、また、定期的なライブは現状営業再開の目途が立っておらず、暫くの期間ご不便、ご迷惑をお掛けいたします。」とのことでした。
2019年秋に岡山の障害のある方の公募展「第3回きらぼし☆アート展」が岡山市、玉野市で開催されました。岡山県北から多数の受賞者が輩出される中、作品展が県南で開催されるためか、その情報が県北では行き渡ってはいないように思われました。そこで、この度「きらぼし☆アート展」に出品された作品を改めて津山市と鏡野町で展示し、地元の方にも作品他きらぼしアート展の主旨なども見て知っていただけたらと思い今回の作品展を企画いたしました。
今回の「きらぼし☆作品展~かがやく県北の星~」では、岡山県北の出品者の方に声をかけさせて頂き「第3回きらぼしアート展」で入選・入賞した13作品のほか、2019年12月に上海で開催された「上海・岡山障害児者絵画交流展」に出品した3作品の計16点の作品を展示させていただきます。
今回の作品展が、広く市民の方に障害のあるアーティストや、NPO法人灯心会の活動に関心を持っていただく機会となれば幸いです。(文:会場内の案内より転載)
田中家 田中久太夫 英田郡海内村 森藩 沼田藩
大庄屋まで
田中氏は、三星城主後藤勝基の家臣田中信濃守が祖先であるという。その子次郎兵衛が海内村に帰農し、その子久太夫が森藩の大庄屋に任命された。享保15年(1730)英田郡など3郡1万4000石が上野沼田藩士岐領になると、再び、大庄屋に任命され、代々長兵衛を名乗った。
大庄屋として
沼田藩は、海内村に陣屋を置いた。田中長兵衛は士分にとりたてられ、年貢の徴収・輸送にあたった。中庄屋として協力した山外野村の黒田家は薬草園経営のも関わっていたという。
慶応2年(1866)改政一揆が起きると、沼田藩は、鯰村の隋縁寺など領内4ヶ寺に一揆との交渉を依頼、金4000両と米1500俵を一揆勢に渡すことで願書を撤回させた。とくに隋縁寺の僧侶日正上人の活躍があった。上人の墓は妙法寺(津山市西寺町)にある。大庄屋の田中長兵衛も一揆の鎮静化に尽力した。
2020年2月1日の早朝、お散歩がてらに小田中の小高い丘の上に上がってきました。
ここに上がると津山市内や津山城跡が見えますし、畑にはいつも季節を感じさせる野菜たちが育っています。今日も顔なじみのご近所さんご夫婦が早朝から野菜の収穫をされていました。
「この頃は昔のように農業で食べていくのも大変だ。」と言いながらも、野菜を一つ一つ丁寧に収穫されている姿にいつも感動します。
2020年2月21日の千代稲荷と宮川にかかる赤い太鼓橋(2009年の取材記事)
大きな赤いちょうちんが目印の千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)の本殿は津山市指定重要文化財(建造物平成15年2月17日)です。前回の取材時よりは参道の赤い太鼓橋の色が薄くなったと感じました。また、背後の樹木はすっきりして石垣がよく見えだしましたね。(嘗ては稲荷山地区に、佐平焼の登窯が五室ありました。)
2020年2月29日小雨降る中、梅の里 梅まつりの開花状況を見に行く途中の久米川沿いの梅の花が綺麗に咲いています。(梅の里公園へ行く途中の津山市久米支所近く)少し古木ですが、いつも一番早く目につく梅の花です。
福本善兵衛 久米北条郡坪井下村 森藩~幕府領 挙母藩(ころもはん)
大庄屋まで
家伝によれば、福本家の先祖は原田氏である。原田行佐の二男政次が坪井村の笠森神社近くに移住した。政次は、亀山城落城のとき戦死した叔父の福本藤兵衛の跡を継ぐため福本に姓を変えたという。政次の孫小左衛門は、村内の比津免(ひずめ)に移住し、後に森藩の大庄屋に任命された。小左衛門の孫文左衛門が、内藤藩の大庄屋に任命され、代々勤めた。
大庄屋として
森忠政が、初めて領国を巡回した時小左衛門と父助右衛門が召されて、岩屋城攻めの話をしたという『大庄屋由緒調』。文化10年(1813)12月2日伊能忠敬の測量隊が止宿した。