美作の大庄屋巡り「島田家」(院庄)

shimada11.jpg

 島田家 島田太郎兵衛 西々条郡院庄村 森藩
大庄屋まで
 島田氏は、鎌倉幕府の役人としてこの地へ移り、代々太郎兵衛を名乗ったといわれる。美作一国の領主となった森忠政は構城の築城にあたり島田家に居住し、忠政の子忠広は島田家で生まれている。
 島田家は元禄10年(1697)まで4代大庄屋を勤めたが、5代目は幼少であったため、後見役を勤めていた江川四郎左衛門が森藩改易後、大庄屋に任命された。
大庄屋として
 慶安元年(1648)布原台地の開発に関わった。

shimada9.jpgshimada10.jpg

所在地
 院庄村は、西と南を由井川に囲まれ、河跡が残る低地が広がる村である。全域に条里制の地割が残っている。鎌倉時代に美作守護館が置かれ、中央を出雲往来が通り、美作国の中心ととして賑わっていた。江戸時代には往来沿いに津山藩主の休憩場であった茶屋が建てられていた。

shimada8.jpgshimada7.jpg

屋敷・墓地
 屋敷は出雲往来に沿う町並みの南側にある。現在は広大な屋敷が残っているが、子孫は住んでいない。屋敷の南はかつて馬場であったという。墓地は屋敷の南の吉井川に近い微高地上に2か所ある。菩提寺は真言宗清眼寺(津山市院庄)である。

shimada01.jpgshimada0.jpg

森忠政本陣之跡、森右近太夫忠廣誕生之地


子孫
 島田秀夫氏(1915年6月27日-2005年11月3日)は三菱重工業株式会社取締役副社長を務める。日本サッカー協会(JFA)第7代会長、日本体育協会・日本オリンピック委員会評議委員などを歴任した。


 東京在住の島田家の方の情報では「院庄の島田の家が有った土地は他家に売却し、その方が家を建てておられる。」とのことでした。

2019-8-17-2.jpg2019-8-17-1.jpg

出雲往来(2019年8月17日撮影)(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)