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取材記事内を検索ワード「勝間田焼き」で検索した結果,6件の記事が見つかりました。

最後の勝間田焼窯だし見学&展示即売会

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今回で最後となる勝間田焼の窯出しです。(過去の勝間田焼きの窯だしの様子
 勝間田焼きは、勝間田焼き復活会の皆さんがノースビレッジ北約200mの所の窯で仲間と共に勝間田焼きを続けておられましたが、メンバーの高齢化が進み、やむなく今年の窯焚きが最後になったそうです。この日は少し肌寒い天気でしたが、ユニークな来年の干支や、様々な陶芸が所狭しと並べられ、皆さん惜しむかのように談話されていました。(2024年11月17日撮影)


 勝間田焼は、古墳時代に朝鮮半島から伝わった須恵器の技術を受け継いで作られたもので、青灰色で非常に硬質な焼き物です。発掘された大甕に格子紋があるのが、特徴となっています。
現在窯跡として勝田郡勝央町内に十数か所が確認されています。当時は美作地域から山陰まで広域に流通していましたが、鎌倉時代に生産の終焉を迎えることになりました。(文:ギャラリーふぅさん)

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「ギャラリー ふぅ」さんと桜と鯉のぼり

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 2021年4月2日、古川に沿って植えられている沢山のさくらを楽しみながら、加茂方面に向かっていると、さくらの花の間から、ギヤラリーふぅさんの姿が見えたので立ち寄ってきました。
 ギャラリーふぅさん前の田圃では、もう、トラクターにより田植えの準備が進んでいました。年々季節の移り変わりが早くなりますね。ギャラリーふぅさんでは、可愛い鯉のぼりや、素敵な作品がずらりと並んでいて目を奪われました。最後に勝間田焼のトーテンポールの前で、素敵なご夫婦の写真を撮らせていただきました。

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青勝窯 勝間田焼きの窯だし

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 2019年10月14日に青勝窯(勝田郡勝央町岡)の勝間田焼きの窯だしに伺って来ました。ここでは、勝間田焼き復活会の皆さんがノースビレッジ北約200mの所の窯で仲間と共に勝間田焼きを続けておられます。奥田福泰のお話では、
 勝間田焼は、古墳時代に朝鮮半島から伝わった須恵器生産の技術を受け継いで焼成されたもので、青灰色で非常に硬質な焼き物です。その生産は勝間田窯(勝田郡勝央町)で行われ、現在窯跡として十数か所が確認されています。製品は碗・小皿の食器類からこね鉢等の調理具、壺、甕等の貯蔵具など多様で、主に美作地域から山陰まで広域に流通していました。しかし、鎌倉時代までに生産の終焉を迎えることになったそうです。

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奥田福泰陶展 ~焼き締め陶の競演~

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 「奥田福泰陶展 ~焼き締め陶の競演~」が2018年11月9日~11日まで、ギャラリー ふう(野村)でありました。お出迎えして下さったのは、奥田さんと奥田さんの娘さん達です。とても素晴らしいご家族で、作品達もどこかほほえましくも温かい作品達でした。この日は、お出でになった宮野良治先生から即興で歌とオカリナのプレゼントがあり、ラッキーな日でした。(撮影:2018年11月10日)

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「勝間田焼復活会」グループ展

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 本日は「勝間田焼復活会」グループ展にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。
 勝間田焼きは平安時代末から鎌倉時代にかけて美作地域一帯で使用された焼物で、勝間田盆地の山間部一帯を主な生産地として発展した、青灰色で非常に硬質な焼物です。椀・小皿の食器類からこね鉢等の調理具、壷・甕等の貯蔵具など多様な製品を焼成しており、主に美作地域一帯から山陰地域にまで広域に流通していました。しかし、鎌倉時代までで生産されなくなり、記録等にも残っていないことから幻の陶器と称されています。

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「街道祭 ART IN SHOO 2014」行って来ました。

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「街道祭 ART IN SHOO 2014」 石畳がいいですね。

かつて出雲街道の宿場町として栄えた勝間田宿を会場に、芸術やグルメなどの多彩なイベントが開催されました。(街道を活用したアートや、手づくり作品の販売、ワークショップなど幅広い年代が楽しめる歴史とアートが融合したイベントです。)
開催日:2014年9月13日(土)14日(日) 10:00~15:00(※14日(日)は街道を歩行者天国)

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