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取材記事内を検索ワード「大ヶ山」で検索した結果,5件の記事が見つかりました。

西谷地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第17番札所)

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 地元では大師堂と呼んでいる。創建年代は不詳であるが、古くから加茂谷88ヶ所霊場の一つとされてきた。
 昭和30年ごろまでは四方寄せ棟の萱葺き屋根であったが、その後トタン葺きに変え、昭和40年ごろ牧道大ヶ山線開設のため現在地に移転し、同時にインベン瓦葺きとした。
 百万遍念仏、二夜三日念仏供養などの行事やお籠りなどの行事が行われていたが、念仏の数珠まわしの数珠は中土井地区との共同品であったものを、いつごろからか半分に分けて用いた。地蔵堂には、「加茂谷88ヶ所第56号番 西谷世話人 西山品吉 草苅貞治と書かれた木札が残っている。本尊は地蔵菩薩である。(石彫座像、高さ27㎝)

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竹之下レインボー園地(阿波)

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 竹之下レインボー園地は、阿波の中央部を南北に流れている加茂川沿いにあります。公園の対岸には、アルカリ性単純泉の阿波温泉や、囲炉裏焼き あなみがあります。この公園には、今は回っていない水車があったり、推定樹齢500年を越える尾所の山桜の二世が植えられています。
 阿波には、鬼の門で知られる大ヶ山、阿波伝説に由来するお夏の墓で知られる深山渓谷、川・阿波山滝(布滝白髪滝大滝)などがあります。

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大ヶ山(阿波西谷)

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 2020年6月21日阿波方面にきたので、ついでに大ヶ山(だいがせん)頂上の標高989.8m(ちなみに那岐山は1,255m)の展望台まで来てみました。車で頂上まで来れるのでいいですね。展望台から雄大な景色を眺めていると、昭和の時代にスキーを楽しみに来たことなどを思い出しました。また、山に詳しくないので調べてみると、天狗寺山、烏山、桜尾山、袴ヶ仙、後山等の山々が見えるそうです。

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阿波八幡神社

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花祭りの起源と阿波八幡神社(2010.11.3)
阿波八幡神社は、JR因美線美作河井駅より北へ約4キロメートル、旧阿波村(現津山市阿波)字位登山(大ヶ山の東麓の端)鎮座する。主神は誉田別命(15代応神天皇)で、足仲彦命(14代仲哀天皇)・息長足媛命(神功皇后)を配祀した神社である。
口碑によると、慶雲2年(705)、現在の地より少し南に鴨神社が創祀されたと伝えられており、平城天皇の大同元年(806)8月15日筑紫の国(大分県)の宇佐八幡宮の分霊を勧請し、合祀して八幡宮と称し現在の地位登山に移遷したものである。(先年、阿波村文化財保護委員が宇佐八幡宮に行って分霊勧請の記録を確認している)
八幡宮は武神としてのソ崇敬も顕著になり、尼子晴久の中国経略に際しここ美作にも侵入し、さらに播磨の国に出兵する際戦捷を祈願して阿波八幡宮の社殿を焼き払い、その後、戦捷奉實のための家臣村上左京進時泰に命じて社殿を再建した。
弘治4年(1558)年6月のことである。(社蔵の棟礼による)
当時の社殿は、宮4間4面、高さ3間1尺5寸(神主兵部より森美作守への上申書による)とあり、結構壮大な社殿であった。
現在の社殿は寛延2年(1749)村内氏子中により再建されたものである。
高山城(矢筈山)主 草苅景継は良(鬼門)の鎮護として崇敬し社領を寄進し、津山城主森忠政も城の民の鎮護として崇敬したという記録も伝えられている。(2010年 阿波神社の花祭りの様子
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4月19日の尾所(おそ)のさくら

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▲尾所(おそ)のさくら(2010.4.19)
標高480mに位置する1本立ちの山桜で、推定樹齢550年です。高さ約5.9m、枝張り東西約20m、南北約15mです。地上約4mのところから四方に分枝しています。樹姿は壮大にして優美で高雅な気品があります。樹下の眺望もまた佳絶です。宝徳2年(1450)頃、山伏が倉見越えの途中この場所で休み、持っていた杖を残したまま発ちました。その杖が根付いて今の桜の木になったと伝えられています。例年、4月20日前後に満開を迎えます。(県指定天然記念物)(2008津山市教育委員会発行、津山市の文化財より)

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