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取材記事内を検索ワード「大隈神社」で検索した結果,4件の記事が見つかりました。

第二回 つやま町燈路(城東地区)

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 令和3年10月23日(土)18時~20時、第二回つやま町燈路が、城東地区12町内、11箇所(中之町は当日不幸があり急遽中止)で2610個の灯籠が灯されました。
 今回もウィズコロナの観点から事前告知を一切行わず、地域住民のみのイベントとして開催されました。上之町6丁目と西新町が共同で旧出雲街道の参道開始点から大隈神社の本殿前までを700個の燈篭で光の道を作った。(県重要文化財付近はLED光源を使用して火災の発生を防止した。)
 また、旧出雲街道沿いの民家の軒先に並べた灯籠は、重伝建の町並みとマッチした景観となり、多くの地域住民が沿道に出て景色を楽しんだ。
2020年10月17日2020年10月17日(土)の夜(大隅神社宵祭りの夜)

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2021 大隅神社へ初詣

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 大隅神社は、奈良時代の和銅年間(707~715年)以前の創建と伝えられている古社です。拝殿は昭和に建て替えられたそうです。神輿は、1842年に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財となっています。また、神門は津山城内にあったものを移築したもので格式があります。
 まだまだ先の見通せない時勢なのですが、新型コロナウイルスの収束や家族の健康などを祈りました。

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津山徳守神社秋祭りに出動しただんじり16基

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津山だんじりの歴史/総鎮守徳守神社の祭礼は、初代藩主森忠政が慶長9年(1604)に社殿を増宮した際に氏子達が練り物を出したことに始まる。【現在、県の重要有形民俗文化財に指定されている津山だんじりは28臺(徳守神社20臺、大隅神社7臺、総社宮1臺)】
津山だんじりの個性/松平宣富をはじめ、松平歴代藩主やその家族も度々津山城の一角の「赤座屋敷」から祭りを見物した。第5代藩主康哉は宮川門を開け町民を城内に引き入れ、第8代藩主斉民は城内で祭りに加わる。天保13年(1842)、祭りに出動するだんじり数に制限が設けられ、徳守神社が6基、大隈神社が2基との藩命が下された。この時の制限が、隔年、3年ごとなどの出動間隔として残っている。現在は各町内会が出動の有無や間隔を自由に決めているが、結果的に各町内が経済的にも無理をせず、だんじりの伝統が長く受け継いできていることに大きな役割を果たしている。

子供を大切にする津山だんじり/簾珠臺(宮脇町)をはじめ全てのだんじりに、宵、本祭りとも子供が乗る。これは地域の将来を担う子供たちを大切にする津山の200年ほど前から続く伝統である。(津山市HPより抜粋pdf

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2010.10.17(日)大隅神社の秋祭り

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▲大隅神社のお神輿2010.10.17(日)
このお神輿は神輿は天保13年(1842)に造られたもので、黄金に光る神輿は、造られてから一度も塗り替えていなかったのですが、今年170年ぶりに修復された大神輿が18年ぶりに担がれました。
「18年ぶりに担ぐのでどんな重さなのか、どこで休憩できるか分からない」とのアナウンスあるほど久々だったそうです。

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